温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

ライトアップ御礼  2006年12月11日更新

「ライトアップ実行委員会・委員長 並びに
醫王霊山温泉寺・総代、武川光雄氏より」
(温泉寺瓦版より)

 今年で4回目となる温泉寺境内の紅葉ライトアップが、11月22日から5日間開催されました。当初温暖な陽気で、色づきが遅れるのではと心配しましたが、直前の冷え込みで最高の色づきとなりました。

 昨年までは、電気の容量が少なく、満足な照明ができなかったのですが、今年より仮設電源の設置によりライトの増加も可能となり、本堂裏の参道にも照明をすることにより、より深みのあるライトアップができました。また、初日には恒例となりました細江鈴逸様と今井信二様による尺八の献笛・演奏、25日には南澤大介様のアコースティックギターによる演奏ですごく癒されることができました。特に南澤大介様は、ギターの教則本を出版されている程の実力の持ち主で、遠くは神戸からこの演奏を聴くために駆けつけた方もみえたほどでした。会場が狭く、立ち見の方もあり、非常にご迷惑をおかけしました。(コンサート来場者約350名)

 また5日間を通して抹茶の無料サービスや、今年新たに「お楽しみ抽選会」も実施し、徳原直政君の写真によるオリジナル切手も製作し、賞品として喜ばれました。その他いろいろ工夫をさせていただき、多少なりとも昨年より楽しんでいただけたのではないかと思います。

 昨年は会期中約600名の来場者でしたが、今年は1000名を越すことができました。地元は勿論、観光客の方にもたくさんご来場いただき、あまりイベントがない時期に、下呂温泉観光のお役に立てたのではと思っております。

 紅葉の苗木を寄贈いただいた徳原様・下呂市様、抹茶サービスに奉仕していただいた皆様、演奏をしていただいた皆様、その他数多くの皆様のお力添えにより、大盛況の内に終了させていただきましたことに感謝申し上げますとともに、心の癒し場として温泉寺をご利用下さりたくお願い申し上げます。来年度以降もより良きライトアップを企画致しますのでご期待下さるようお願い申し上げ、ライトアップ無事終了の御礼とさせていただきます。ありがとうございました。

 

18年度 紅葉ライトアップ  2006年11月14日更新

「人間に与える詩」

そこに太い根がある
これを忘れているからいけないのだ
腕のような枝をひっ裂き
葉っぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら
真っ暗な地べたの下で
ぐっと踏ん張っている根があると思えば
何でもないのだ
それでいいのだ
そこにこの壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどっしりしたところはどうだ!
            (山村暮鳥)
目に見えないところで一生懸命頑張ってくれている、頑丈な根のおかげで、今年も温泉寺のモミジの大木は、きれいに色づいてきました。恒例ライトアップを今年も計画し、今まさに準備段階も佳境に入ってきました。
 今年で4回目を迎えますこの「紅葉ライトアップ」行事は、年々内容が充実し、また盛大になりつつあります。昨年は遠方からわざわざお越し下さる方もあり、今年もNHK始め、各メディアがこの行事をとりあげて下さっています。是非ともライトアップを成功させようと、願っていますが、これもひとえに惜しみない協力をして下さる方達のおかげです。
 この場合の協力というのは、経済的なものではなく、ほとんどが労働奉仕です。何度も何度も話し合いをして、今回だけのオリジナルサービスを企画し、ほとんどが手作りのものを使用し、ライトの設営、庭や建物内の演出も全て自分達の手によるものです。そのために、たくさんの方が何度もお寺へ足を運んで下さいます。宣伝についても、地元の市役所、観光協会始め、街の飲食店、お土産物屋さんなど、いろいろな方が好意的に対応して下さり、感謝しています。そして、ライトアップ期間中は、非常に寒い中を、駐車場係、案内係、抹茶席係など、たくさんの方の御奉仕をいただきます。そうして初めてこの「紅葉ライトアップ」は成り立っています。
 いろいろな形ではありますが、地元の皆さんの強力な支えがあるからこそ、この行事は年々盛大になっています。太い根っこの上に、惜しみなく枝を広げ、華麗に色づくモミジの如きです。
 そして、特筆すべきは、この行事に対して協力、奉仕して下さる方達は、皆さん何も見返りを求めていない、ということです。そのおかげで、期間中、入場無料でお客さんにお越しいただくことができます。この行事に携わる方達は、綺麗にライトアップされたモミジを見るお客さんに、立派な「布施行」をしておられるわけです。そして見に来て下さったお客さんは、この行事に対して少しずつでも、協賛金を布施して下さいます。更に、何よりモミジそのものが、私達人間に綺麗な紅葉を布施してくれています。それぞれの立場で、お互いに気持ちの良い布施をし合える場、これこそ「三輪清浄」の世界であり、本当の「癒し」の空間であると思います。これをお寺という場所で実践できることは、たいへん有意義なことだと思います。
 古代インドでは、サンスクリット語(古代インド語)でお寺を「ビハーラ」と呼びました。「ビハーラ」とは、「癒しの場」「安心な場所」という意味だそうです。そこにいる人たちは皆、何かに感謝しています。感謝するから、何でも人に施すことができます。そこに喜びを感じ、そこに自然に癒しの空間が広がります。
 今、特に殺伐とした世の中でありますが、温泉寺では年に一度、モミジのおかげを被り、ここに自然に「ビハーラ」が出現することを、住職として感謝しています。
(以前このようなことを話したら、「本当は住職の存在だけで、一年中、寺がビハーラでなきゃ駄目なんじゃないの?」と誰かにつっこまれました。残念ながら、温泉寺住職も今のところ、修行の履修科目が不足しているようです。)
 何はともあれ、年に一度、間違いなく温泉寺は「ビハーラ」になります。是非一人でも多くの方に足を運んでいただきたいと思います。「いいなぁ。」と素直に感じていただけたら、その時、まさにその心はお釈迦様の「仏心」そのものになっています。白隠禅師の「衆生本来仏なり。」であり、その場が「当処即ち蓮華国  この身即ち仏なり。」の世界であります。
 まだまだ改善の余地があり、皆様に喜んでもらえるには、一層の努力が必要でありますが、今年は今年できる限りのことを、地元の皆さんと用意しました。是非ご来場をお待ちしています。
 


 

お月さんとウサギさん  2006年10月23日更新

こんにちは。日毎に朝晩の冷え込みが増し、日暮れの時間も早くなってまいりました。秋の訪れを感じます。

 前々回の茶話でお話しましたとおり、私自身暴飲暴食に気をつけなければと思いつつ、「食欲の秋!」と言わんばかりに秋の実りを楽しんでいます。きのこ類、里芋、栗など、本当に山の幸は一杯飲むのにうってつけの肴になります。いろいろな方から旬の物をいただき、感謝しています。
 他にも秋と言えば「読書の秋」「スポーツの秋」など、何をしていても心地良いのが今頃の季節なんでしょうね。

 そういえば今月6日は仲秋の名月でした。例年は9月のお彼岸頃ですが、今年は10月に入ってからの名月となりました。所謂旧暦の8月15日のお月さんですね。温泉寺でもすすきや萩を花瓶に活けて、里芋と月見団子をお供えし、秋の風情を楽しみました。京都の専門道場時代は、この日の晩は、本堂の縁側にこっそり湯のみと一升瓶を持ってきて、ほろ酔いの中、坐禅してました。「花より団子」ならぬ「月より一杯」という感じでした。でも当時は楽しみと言えばそのぐらいの程度しかなかったので、仲秋の名月は楽しみでした。ばれないように「こっそり」飲むのがまたいいんですよね。

 という訳で、まったくこれまで「お月さん」のことに特に興味を持っていた訳ではないですが、幼心にお月さんと言えば、「ウサギが餅をついている」というイメージは何故だかありました。中国でも月のことを「玉兎」(ぎょくと)と表現しますが、お月さんと兎は深い関わりがあるようです。

 では兎とはどんな動物なのでしょうか。お釈迦様の前世を描いた「ジャータカ」と呼ばれる書物にこんな逸話が出てきます。

 ある日、森の動物達が仲良く遊んでいました。そこに今にも死にそうな一人のおじいさんがやって来ました。おじいさんは動物達に、「何か食べるものを恵んで下さい。」と頼みます。動物達は普段から善行を心がけていたので、すぐに食べ物を探しに行きました。鳥は空を飛び、川で魚を捕まえました。猿は木立を駆け巡り、あっという間に木の実をたくさん集めました。猪は大地を駆け回り、竹の子や芋を掘り出しました。みんなそれぞれに、食べる物をおじいさんに差し出しました。しかし兎だけが一人、何もできずにいました。自分は何も差し上げる物が無い。そう思った兎は、一生懸命野原を駆け巡り、枯れ枝をたくさん集めて来ました。キョトンと見ていた仲間やおじいさんの目の前で、兎は枯れ枝に火をつけて、「私には何も差し上げる物がありませんから、どうぞ私の肉を召し上がって下さい。」と言い残し、なんと火の中に自分の身を投げたのです。その瞬間、死にそうなおじいさんが帝釈天の姿に変わり、兎の命を救い、その心(仏心・慈悲の心)を褒め称えました。というお話です。

 お月さんは太陽とは対照的で、その光も柔らかく、女性的で慈悲心の象徴です。そのお月さんと、慈悲深い兎は一心同体なんですね。ですから「お月さんで兎が餅をついている。」という発想は、平和の象徴なんです。古来より、先人達は仲秋の名月に兎を思い、平和な世の中を願ったに違いありません。

 温泉寺で雲の隙間から姿を見せた名月を見て、我が子は何を感じたのだろうと、よっぽど聞きたかったのですが、若干反抗期なのでやめときました。その後、街では有志が集まり、「ギスギスした社会にゆとりを持とう」というキャッチフレーズのもと、仲秋の名月を愛でる宴が催されました。勿論私も喜んで参加させていただき、少し肌寒さを感じる中、あったか〜いお酒をいただきました。名月さん、ウサギさん、ご馳走様でした。
 
 

 

クモの糸  2006年10月2日更新

 こんにちは。1ヶ月に最低2回はこのページを更新しようと思ってますが、早くも10月に突入し、先月も結局目標達成はなりませんでした。なかなか軌道にのらないということが、温泉寺のホームページそのもののイメージになってしまっています。
 さて、話は1週間前、まだ秋のお彼岸の真っ只中です。24日(日)に、近所の子供達と大数珠をまわしました。これは例えば京都市内の各地域で今も行われている地蔵盆のようなものです。室町時代、京都で疫病が大流行した際、百万遍念仏をこの大数珠を使って唱えたところ、パタッと疫病が治まったことから、京の都の方達は、今でも8月下旬に各地域のお地蔵さんを囲み、大数珠をまわすのです。(京都市左京区百万遍という地名は、実はここに由来します。確か、百万遍には念仏寺というお寺もあると思います。)そこで我が飛騨地方には、江戸時代中期の高僧・白隠禅師がこの大数珠まわし(地元では数珠繰りと呼ばれています)を伝えました。
 温泉寺には、境内に続く173段の石段の下に、「子守地蔵堂」があります。子守地蔵だなんて、初めて耳にされる方も多いと思いますが、これはやはり江戸時代、飛騨川の大氾濫により濁流に飲み込まれ、命を落とした老婆と幼子の霊を慰めるために祀られたお地蔵さんです。このお地蔵さんの功徳を、近所の子供達と分かち合い、健やかな成長を願おうと、一昨年から秋のお彼岸の行事として「子守地蔵大数珠繰り」を始めました。(今まで温泉寺では数珠繰りの実績が全く無く、当然大数珠もありませんでしたから、一昨年、昨年は他所から大数珠をお借りしていたのです。しかし今年に入って、子供達のためにと、地元の建具師・今井頼雄様が新品の大数珠を寄贈して下さいました。感謝しています。)
 お地蔵さんと言えば、冥界の裁判官・閻魔大王を連想します。私達は死後、この閻魔大王により極楽行きか、地獄行きかを分けられます。この閻魔大王こそ、実はお地蔵さんの化身なので、亡者の35日目(五七日忌・閻魔大王の裁判の日)には遺族の方は、懸命にお地蔵さんへお参りされます。しかし最近はこのような風習もなくなり、子供達に地獄や極楽などと言っても「和尚さん、地獄や極楽を自分の目で見たことあるの?」とか、「そんなに言うなら閻魔をここに連れて来てよ!」とかいうセリフと冷ややかな眼差しが返ってきます。
 う〜〜ん。コイツラにお地蔵さんについて何を喋ろうかと、数珠繰り当日まで考えました。やはり先人は偉大です。芥川龍之介の「クモの糸」の話をしました。小学生にも理解しやすく、予想以上にこちらの話に釘づけでした。大成功!!ハッハッハッ!
 昔、盗賊グループの親分がいました。たくさんの人達の物を盗んだり、脅し取ったりしていたから、バチが当たって地獄へ落ちました。子分も全員地獄へ落ちました。地獄で苦しんでいる親分を見た、天国のお釈迦様が、ある日、生前の親分の行動に一つだけ良い行動があったのを思い出しました。それは、親分が歩いていた道に一匹のクモがいて、親分は普通なら踏みつけても平気なんだけど、たまたまその時は「おっと、危ない」と言って、クモをわざと避けて歩いたことが一度だけあったのです。クモの命を粗末にしなかったということで、お釈迦様は天国から地獄にいる親分の所まで、一本のクモの糸を垂らしました。親分は「これで天国に行ける。苦しみから解放される。」と大喜びして、クモの糸をどんどん上って行きました。ところが、下を見下ろすと、大勢の子分達も上ってきます。われ先にと、すごい勢いで上ってきます。親分はすかさずクモの糸が切れてしまうことを恐れて、「このクモの糸は、俺だけのものだ!お前らは来るな!」と大声で叫びました。するとその瞬間、クモの糸がプツッと切れ、親分も子分もみんな地獄へ再び落ちて行きました。・・・というお話です。(かなり略してあります。ご容赦下さい。)
 さて、この話を聞いた子供達に「どうして最後にクモの糸が切れてしまったのか?」 「どうすれば親分は地獄へ落ちずに、天国へ行くことができたか?」ということを尋ねてみました。良かったです。みんなほぼ理解をしてくれていました。「みんなで一緒に天国へ行こう!!」と親分が言っていたら、きっと全員天国へ行けたはずだと、みんなが結論を出してくれました。
 この言葉を現世の自分達に置き換えると、「みんなで一緒に幸せになりましょう!!」という言葉になります。これは般若心経の「ギャーテー ギャーテー ハーラー ギャーテー ハラソウギャーテー ボージー ソワカ。」という有名な最後の一句そのものです。これで子供達にも若干般若心経が理解できたかな・・・?
 何はともあれ、子守地蔵さんを大数珠で輪になって囲み、和でもって一心にまわす子供達の姿に、何だか久しぶりの微笑ましさを感じました。それと私だけ、生意気な子供達への法話がうまくいき、変な安堵の汗をかいていました。来年はどうしよう・・・と思いながら。(芥川先生、有難う!)
 
 
 
 

 

山頭火の気持ち  2006年9月6日更新

 暫くご無沙汰してました。当山のHPのこのつまらない茶飲み話も、おかげ様で目を通して下さる方があり、「HPを見て来ました」と言って旅行がてら先祖供養や水子供養をなさったり、「まだ更新しないのか!!」と尻をたたいて下さったりで、有難く思っています。
 8月は本当に暑かったですねぇ。その上、お盆行事その他雑用に追われ、いつの間にか9月に入っていました。さぁ、また気持ち新たに頑張るぞ!と思いきや、最初からズッコケました。生まれて初めて救急車に乗せていただいたのです。(地元の皆さんにはたいへんご心配をおかけしました。もう大丈夫です。)結局、食塩水のようなものを点滴してもらって、数時間後、寺に帰りました。(皆様、暑い時期は適度な水分と塩分の補給を心がけましょう!ちなみにビールなどは、水分補給の足しにはならないそうです。)
 とまあそんな訳で無事、寺に帰ることができましたが、病院に運ばれてからはいろいろな検査をして、その後、病室に一人ポツンと寝ていました。
 「忙しい」「慌しい」「あれもこれもやらんならん」と、気張っていた寺が、随分遠くに感じ、

 「やっぱり一人がよろしい 雑草」(山頭火)

と、一人静かに休める空間が心地よい感じがしました。
 しかしそれもつかの間。よく考えてみると、約束していた法事が30分後に迫っている。すでに今日の月命日のお参りは、無断欠勤になっている。さぁどうしよう!?と、急に心穏やかではなくなりました。携帯電話も無く、そもそもベッドから起き上がれない状態で、どうやって外部と連絡を取ったらいいのかと思うと、何だか寂しい感じがしました。

「やっぱり一人はさみしい 枯れ草」(山頭火)

今の自分は、世の中にはおろか、自分のことさえも満足にできない、まるで枯れ草みたいなもんだなぁ。

「どうしようもない私が 歩いている。」(山頭火)

という状態でした。約束も仕事も成し遂げることができない情けなさ。
 すっかり悲観的になっていた私を救ってくれたのは、地元ネットワークの速さでした。早速話を聞いた下呂の私の身元引受人様(坊主の世界では案下所といいます。)と友人が駆けつけてくれたのです。外部との連絡や段取り、必需品もそろえてもらいました。助かりました。どうでもいい会話も、この時だけは、何だか有難く思えました。一言「飲みすぎだ!」と片付けられましたが、そばに誰かがいるという安心感は、たとえようの無いほど心強いものです。
 ちなみにこの後、酒屋さんと、なんと法事の約束を果たせなかった先の煙草屋さんまで駆けつけて下さり、お互いに「うちの酒は悪くない。」「うちの煙草も悪くない。」という結果に納まりました。要は自己責任ですね。
 このように皆様にご心配とご迷惑をおかけしたのですが、それにも関わらずさらに皆様のお蔭で自分の進むべき道を歩ませてもらう幸せを感じています。たまには反省して、自分の尻は自分でふけるようにならなきゃ駄目だなぁと思います。

「道は前にある。
 まっすぐ行こう。」(山頭火)

◎種田山頭火(明治15年〜昭和15年)
 山口県防府市出身。大地主の息子。11歳の時、母が自殺。早稲田大学文学部へ入学するも、神経衰弱のため中退。帰省し家業の造り酒屋を手伝うも、父親の放蕩と自分の酒癖のため破産。妻子と共に九州へ赴くが、離婚。その後、熊本市、報恩寺・望月義庵に自殺未遂を助けられ、出家得度。大正15年より行脚に出かけ、多くの自由律俳句を詠む。山頭火は荻原井泉水の門下生で、尾崎放哉と並び称される。昭和15年、松山市「一草庵」にて57歳で生涯を閉じる。

 

 

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