温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

お月さんとウサギさん  2006年10月23日更新

こんにちは。日毎に朝晩の冷え込みが増し、日暮れの時間も早くなってまいりました。秋の訪れを感じます。

 前々回の茶話でお話しましたとおり、私自身暴飲暴食に気をつけなければと思いつつ、「食欲の秋!」と言わんばかりに秋の実りを楽しんでいます。きのこ類、里芋、栗など、本当に山の幸は一杯飲むのにうってつけの肴になります。いろいろな方から旬の物をいただき、感謝しています。
 他にも秋と言えば「読書の秋」「スポーツの秋」など、何をしていても心地良いのが今頃の季節なんでしょうね。

 そういえば今月6日は仲秋の名月でした。例年は9月のお彼岸頃ですが、今年は10月に入ってからの名月となりました。所謂旧暦の8月15日のお月さんですね。温泉寺でもすすきや萩を花瓶に活けて、里芋と月見団子をお供えし、秋の風情を楽しみました。京都の専門道場時代は、この日の晩は、本堂の縁側にこっそり湯のみと一升瓶を持ってきて、ほろ酔いの中、坐禅してました。「花より団子」ならぬ「月より一杯」という感じでした。でも当時は楽しみと言えばそのぐらいの程度しかなかったので、仲秋の名月は楽しみでした。ばれないように「こっそり」飲むのがまたいいんですよね。

 という訳で、まったくこれまで「お月さん」のことに特に興味を持っていた訳ではないですが、幼心にお月さんと言えば、「ウサギが餅をついている」というイメージは何故だかありました。中国でも月のことを「玉兎」(ぎょくと)と表現しますが、お月さんと兎は深い関わりがあるようです。

 では兎とはどんな動物なのでしょうか。お釈迦様の前世を描いた「ジャータカ」と呼ばれる書物にこんな逸話が出てきます。

 ある日、森の動物達が仲良く遊んでいました。そこに今にも死にそうな一人のおじいさんがやって来ました。おじいさんは動物達に、「何か食べるものを恵んで下さい。」と頼みます。動物達は普段から善行を心がけていたので、すぐに食べ物を探しに行きました。鳥は空を飛び、川で魚を捕まえました。猿は木立を駆け巡り、あっという間に木の実をたくさん集めました。猪は大地を駆け回り、竹の子や芋を掘り出しました。みんなそれぞれに、食べる物をおじいさんに差し出しました。しかし兎だけが一人、何もできずにいました。自分は何も差し上げる物が無い。そう思った兎は、一生懸命野原を駆け巡り、枯れ枝をたくさん集めて来ました。キョトンと見ていた仲間やおじいさんの目の前で、兎は枯れ枝に火をつけて、「私には何も差し上げる物がありませんから、どうぞ私の肉を召し上がって下さい。」と言い残し、なんと火の中に自分の身を投げたのです。その瞬間、死にそうなおじいさんが帝釈天の姿に変わり、兎の命を救い、その心(仏心・慈悲の心)を褒め称えました。というお話です。

 お月さんは太陽とは対照的で、その光も柔らかく、女性的で慈悲心の象徴です。そのお月さんと、慈悲深い兎は一心同体なんですね。ですから「お月さんで兎が餅をついている。」という発想は、平和の象徴なんです。古来より、先人達は仲秋の名月に兎を思い、平和な世の中を願ったに違いありません。

 温泉寺で雲の隙間から姿を見せた名月を見て、我が子は何を感じたのだろうと、よっぽど聞きたかったのですが、若干反抗期なのでやめときました。その後、街では有志が集まり、「ギスギスした社会にゆとりを持とう」というキャッチフレーズのもと、仲秋の名月を愛でる宴が催されました。勿論私も喜んで参加させていただき、少し肌寒さを感じる中、あったか〜いお酒をいただきました。名月さん、ウサギさん、ご馳走様でした。
 
 

 

クモの糸  2006年10月2日更新

 こんにちは。1ヶ月に最低2回はこのページを更新しようと思ってますが、早くも10月に突入し、先月も結局目標達成はなりませんでした。なかなか軌道にのらないということが、温泉寺のホームページそのもののイメージになってしまっています。
 さて、話は1週間前、まだ秋のお彼岸の真っ只中です。24日(日)に、近所の子供達と大数珠をまわしました。これは例えば京都市内の各地域で今も行われている地蔵盆のようなものです。室町時代、京都で疫病が大流行した際、百万遍念仏をこの大数珠を使って唱えたところ、パタッと疫病が治まったことから、京の都の方達は、今でも8月下旬に各地域のお地蔵さんを囲み、大数珠をまわすのです。(京都市左京区百万遍という地名は、実はここに由来します。確か、百万遍には念仏寺というお寺もあると思います。)そこで我が飛騨地方には、江戸時代中期の高僧・白隠禅師がこの大数珠まわし(地元では数珠繰りと呼ばれています)を伝えました。
 温泉寺には、境内に続く173段の石段の下に、「子守地蔵堂」があります。子守地蔵だなんて、初めて耳にされる方も多いと思いますが、これはやはり江戸時代、飛騨川の大氾濫により濁流に飲み込まれ、命を落とした老婆と幼子の霊を慰めるために祀られたお地蔵さんです。このお地蔵さんの功徳を、近所の子供達と分かち合い、健やかな成長を願おうと、一昨年から秋のお彼岸の行事として「子守地蔵大数珠繰り」を始めました。(今まで温泉寺では数珠繰りの実績が全く無く、当然大数珠もありませんでしたから、一昨年、昨年は他所から大数珠をお借りしていたのです。しかし今年に入って、子供達のためにと、地元の建具師・今井頼雄様が新品の大数珠を寄贈して下さいました。感謝しています。)
 お地蔵さんと言えば、冥界の裁判官・閻魔大王を連想します。私達は死後、この閻魔大王により極楽行きか、地獄行きかを分けられます。この閻魔大王こそ、実はお地蔵さんの化身なので、亡者の35日目(五七日忌・閻魔大王の裁判の日)には遺族の方は、懸命にお地蔵さんへお参りされます。しかし最近はこのような風習もなくなり、子供達に地獄や極楽などと言っても「和尚さん、地獄や極楽を自分の目で見たことあるの?」とか、「そんなに言うなら閻魔をここに連れて来てよ!」とかいうセリフと冷ややかな眼差しが返ってきます。
 う〜〜ん。コイツラにお地蔵さんについて何を喋ろうかと、数珠繰り当日まで考えました。やはり先人は偉大です。芥川龍之介の「クモの糸」の話をしました。小学生にも理解しやすく、予想以上にこちらの話に釘づけでした。大成功!!ハッハッハッ!
 昔、盗賊グループの親分がいました。たくさんの人達の物を盗んだり、脅し取ったりしていたから、バチが当たって地獄へ落ちました。子分も全員地獄へ落ちました。地獄で苦しんでいる親分を見た、天国のお釈迦様が、ある日、生前の親分の行動に一つだけ良い行動があったのを思い出しました。それは、親分が歩いていた道に一匹のクモがいて、親分は普通なら踏みつけても平気なんだけど、たまたまその時は「おっと、危ない」と言って、クモをわざと避けて歩いたことが一度だけあったのです。クモの命を粗末にしなかったということで、お釈迦様は天国から地獄にいる親分の所まで、一本のクモの糸を垂らしました。親分は「これで天国に行ける。苦しみから解放される。」と大喜びして、クモの糸をどんどん上って行きました。ところが、下を見下ろすと、大勢の子分達も上ってきます。われ先にと、すごい勢いで上ってきます。親分はすかさずクモの糸が切れてしまうことを恐れて、「このクモの糸は、俺だけのものだ!お前らは来るな!」と大声で叫びました。するとその瞬間、クモの糸がプツッと切れ、親分も子分もみんな地獄へ再び落ちて行きました。・・・というお話です。(かなり略してあります。ご容赦下さい。)
 さて、この話を聞いた子供達に「どうして最後にクモの糸が切れてしまったのか?」 「どうすれば親分は地獄へ落ちずに、天国へ行くことができたか?」ということを尋ねてみました。良かったです。みんなほぼ理解をしてくれていました。「みんなで一緒に天国へ行こう!!」と親分が言っていたら、きっと全員天国へ行けたはずだと、みんなが結論を出してくれました。
 この言葉を現世の自分達に置き換えると、「みんなで一緒に幸せになりましょう!!」という言葉になります。これは般若心経の「ギャーテー ギャーテー ハーラー ギャーテー ハラソウギャーテー ボージー ソワカ。」という有名な最後の一句そのものです。これで子供達にも若干般若心経が理解できたかな・・・?
 何はともあれ、子守地蔵さんを大数珠で輪になって囲み、和でもって一心にまわす子供達の姿に、何だか久しぶりの微笑ましさを感じました。それと私だけ、生意気な子供達への法話がうまくいき、変な安堵の汗をかいていました。来年はどうしよう・・・と思いながら。(芥川先生、有難う!)
 
 
 
 

 

山頭火の気持ち  2006年9月6日更新

 暫くご無沙汰してました。当山のHPのこのつまらない茶飲み話も、おかげ様で目を通して下さる方があり、「HPを見て来ました」と言って旅行がてら先祖供養や水子供養をなさったり、「まだ更新しないのか!!」と尻をたたいて下さったりで、有難く思っています。
 8月は本当に暑かったですねぇ。その上、お盆行事その他雑用に追われ、いつの間にか9月に入っていました。さぁ、また気持ち新たに頑張るぞ!と思いきや、最初からズッコケました。生まれて初めて救急車に乗せていただいたのです。(地元の皆さんにはたいへんご心配をおかけしました。もう大丈夫です。)結局、食塩水のようなものを点滴してもらって、数時間後、寺に帰りました。(皆様、暑い時期は適度な水分と塩分の補給を心がけましょう!ちなみにビールなどは、水分補給の足しにはならないそうです。)
 とまあそんな訳で無事、寺に帰ることができましたが、病院に運ばれてからはいろいろな検査をして、その後、病室に一人ポツンと寝ていました。
 「忙しい」「慌しい」「あれもこれもやらんならん」と、気張っていた寺が、随分遠くに感じ、

 「やっぱり一人がよろしい 雑草」(山頭火)

と、一人静かに休める空間が心地よい感じがしました。
 しかしそれもつかの間。よく考えてみると、約束していた法事が30分後に迫っている。すでに今日の月命日のお参りは、無断欠勤になっている。さぁどうしよう!?と、急に心穏やかではなくなりました。携帯電話も無く、そもそもベッドから起き上がれない状態で、どうやって外部と連絡を取ったらいいのかと思うと、何だか寂しい感じがしました。

「やっぱり一人はさみしい 枯れ草」(山頭火)

今の自分は、世の中にはおろか、自分のことさえも満足にできない、まるで枯れ草みたいなもんだなぁ。

「どうしようもない私が 歩いている。」(山頭火)

という状態でした。約束も仕事も成し遂げることができない情けなさ。
 すっかり悲観的になっていた私を救ってくれたのは、地元ネットワークの速さでした。早速話を聞いた下呂の私の身元引受人様(坊主の世界では案下所といいます。)と友人が駆けつけてくれたのです。外部との連絡や段取り、必需品もそろえてもらいました。助かりました。どうでもいい会話も、この時だけは、何だか有難く思えました。一言「飲みすぎだ!」と片付けられましたが、そばに誰かがいるという安心感は、たとえようの無いほど心強いものです。
 ちなみにこの後、酒屋さんと、なんと法事の約束を果たせなかった先の煙草屋さんまで駆けつけて下さり、お互いに「うちの酒は悪くない。」「うちの煙草も悪くない。」という結果に納まりました。要は自己責任ですね。
 このように皆様にご心配とご迷惑をおかけしたのですが、それにも関わらずさらに皆様のお蔭で自分の進むべき道を歩ませてもらう幸せを感じています。たまには反省して、自分の尻は自分でふけるようにならなきゃ駄目だなぁと思います。

「道は前にある。
 まっすぐ行こう。」(山頭火)

◎種田山頭火(明治15年〜昭和15年)
 山口県防府市出身。大地主の息子。11歳の時、母が自殺。早稲田大学文学部へ入学するも、神経衰弱のため中退。帰省し家業の造り酒屋を手伝うも、父親の放蕩と自分の酒癖のため破産。妻子と共に九州へ赴くが、離婚。その後、熊本市、報恩寺・望月義庵に自殺未遂を助けられ、出家得度。大正15年より行脚に出かけ、多くの自由律俳句を詠む。山頭火は荻原井泉水の門下生で、尾崎放哉と並び称される。昭和15年、松山市「一草庵」にて57歳で生涯を閉じる。

 

 

お盆(温泉寺瓦版より)  2006年7月24日更新

 今月も早いものであと僅かとなりました。8月に入ると、下呂温泉は3日間の観光祭、歌塚祭を経て、あっという間にお盆がやってまいります。
 皆様はどなたでもお盆には、ご先祖様をお迎えし、またお見送りされることと思います。幼少の頃、8月15日夕方になると祖母がよく「あんた達のご先祖様が、また天に帰ってあんた達を見守って下さるからねぇ。」と、私共兄弟にそう言い聞かせ、線香を灯して手を合わせたものです。ご先祖様はそうしてまたご自分の居場所へ帰られるのですが、現在世に生きる私達は、果たして自分の居場所(心の在りか)を明確にしているのでしょうか。
 私達はそれぞれにいろんな顔を持っています。私の場合、一山の住職、小学校PTA役員など地元の諸団体に顔を出し、また家庭においては夫であり、父親であります。いろんな顔や肩書きで、自分勝手な欲望やプライドをついつい持ってしまいます。そして自分の思い通りにならないと、つい生活がなげやりになり、自分は何のために生きているんだろう、とさえ思ってしまうこともあります。
 皆様よくご存知の、石垣りんさんの「表札」という詩は、大切なことを私に教えてくれました。

 自分の住むところには
 自分で表札を出すにかぎる。

 自分の寝泊りする場所に
 他人がかけてくれる表札は
 いつもろくなことはない。

 病院へ入院したら
 病室の名札には石垣りん様と
 様がついた。

 旅館に泊まっても
 部屋の外に名前は出ないが
 やがて焼場のかまに入ると
 とじた扉の上に
 石垣りん殿と札が下がるだろう。
 そのとき私がこばめるか?

 様も殿も
 付いてはいけない。

 自分の住むところには
 自分の手で表札をかけるに限る。

 精神の在り場所も
 ハタから表札をかけられてはならない。
 石垣りん
 それでよい。

 私はどうも、他人様から付けてもらう「様」や「殿」にこだわりすぎていたんだなぁと、痛感しました。では本当の自分の居場所はどこでしょう。
 前回に引き続き、中国の龍牙和尚の詩です。

 木食草衣(もくじきそうい) 心 月に似たり
 一生無念 また無涯
 もし人 居(きょ)いずれの処に在るかを問はば
 青山緑水(せいざんりょくすい)是れ我が家。

春夏秋冬、それぞれの姿に素直に変わる、変幻自在の青山緑水そのものが、そのまま自分自身であると言われたのです。そこには自分勝手な欲望もプライドもありません。ただ、生かされている喜びと、感謝の気持ちのみ存在しています。そこに本当の自分の居場所があるのではないでしょうか。ここのところをお釈迦様は「仏心」、達磨さんは「禅」と表現されたのだと思います。

 

霊峰御嶽山  2006年7月15日更新

 松下童子に問えば
 言う 師は薬を採り去ると
 只、此の山中に在って
 雲深うして処(ところ)を知らず

 この詩は、中国・唐の時代の賈島(かとう)という方の詩です。「隠者を尋ねて遇わず」という題名の通り、必ずこの山中のどこかにいるはずなんだけど、雲の深きによって居場所がわからないという意味の詩であります。
 私は先日、岐阜・長野の県境にそびえる霊峰、御嶽山へ登る機会にめぐまれました。地元の小学校の5年生が毎年2泊3日で御嶽登山研修に出かけるのですが、その登山に同行させてもらったのです。当日は、小学生が宿泊している麓の濁河温泉を6時半に出発するということで、私は下呂を4時半に出ました。私自身初めての御嶽登山でしたから、とても胸躍らせてワクワクしながら先ずは小学生のいる濁河温泉をめざしました。ところが御嶽山麓に入れば入るほど、霧が濃くなり、濁河温泉到着の頃には本当に前が見えないほどでした。そんな中、小学生達と合流し、いよいよ御嶽山頂を目指して歩き始めました。登頂を達成したときの満足感を希望の灯としていたのですが、現実に見る濃い霧と山中の暗さに不安も覚えました。
 その時、冒頭の賈島の詩が頭をよぎったのです。 
「ただ此の山中にあって、雲深うして処を知らず。」
まさしくこのような状況だなと思いました。山頂へ続く道は確かにあり、山頂自体も存在するのですが、雲(霧)のあまりの深さに、一寸先も見えず、どこに向かっているのかわからないという状況です。
 でもこれって、何かに似ていますね。私だけかも知れませんが、私自身の心の中、即ち私自身の人生そのものだと思うのです。たまに、自分は何に向かって生きてるんだろうとか、何のために生きてるんだろうとか、ふと思うことがあります。人生の目的って何なのでしょうか。
 答えはいろいろあると思います。自分自身を鍛錬して立派な人格者になるというのも一つの目的でしょうが、それが家族を幸せにするということでもいいし、子供の成長を見届けるということでもいいし、会社のために金儲けをするということでも何でもいいと思います。ただ、この大自然の中の一つの生命体として命を与えられている、生かされているということを忘れなければいいと思うんです。それがわかれば、決して他人様を陥れるようなことはできませんもんね。
 中国・唐の時代の高僧・玄奘三蔵法師は「西遊記」であまりにも有名な方ですが、師がインドへ仏典を求めて旅をしたときのことを書かれた「大唐西域記」に、こんなお話が出てまいります。
 ある国に人間の形をした野獣がいました。というのも父親は獅子王と呼ばれる野獣で、母親が人間だったのです。母親は隣国の国王の娘でしたが、たまたま獅子王の住む国の国王のところへ嫁いでくる道中に、獅子王に連れ去られてしまい、そのまま結婚させられたのです。生まれてきた子供は、形は人間そのものなんですが、獅子王に野獣として育てられたのです。力は猛獣に匹敵するほどに成長しました。ところが彼が二十歳の頃、転機がやってきます。父親が野獣で、母親が人間だということに疑問を感じたのです。そのことを母親に尋ねますと、母親はことの一部始終を全て息子に話しました。息子は母親を哀れみ、父親のもとから母親と妹を連れて逃げ出しました。弱肉強食の野獣の世界から、人間の世界への転身を息子は果たしたのです。その後は人間として里の人達と仲良く生活をしたのです。しかし突然家族を失った獅子王は、怒りに燃え、荒れ狂い、国中を荒らし、たちまち人間の脅威となってしまいました。国中の兵士でもってしても獅子王を捕らえることはできず、とうとう人間の心を持った息子が獅子王の前に立ちはだかりました。息子は母親から「獅子王と言えどもあなたの父親。決して父を殺すことをしてはなりません。」と、忠告を受けておりました。しかし息子は内心悩みました。みんなを助けるために獅子王を倒すほうがいいのか、または人として父を生かしておくほうがいいのか。この場合どちらが人間としての道なのだろうと。結局息子は目の前の獅子王を父としてでなく、人間(みんな)の脅威的野獣と判断し、人の道に背くことをわかっていながら父・獅子王を退治し、獅子王は息絶えました。息子は、国王からたくさんの褒美をもらいましたが、それを全て母親に預け、自分は人の道に背いたことを反省し、身を隠してしまいました。
 人間らしく生きる決意をした息子の誠実さが、非常に伝わってくるお話です。私達もいろんな場面に遭遇しますが、常に謙虚に自分を省みることを忘れてはならないと思います。そこには善悪を超えた世界があるんじゃないかと思うんです。

 人という
 人のこころに
 一人づつ
 囚人がいて
 うめくかなしさ
  (石川啄木 一握の砂より)

 誰にでも欲望があると思います。欲望は必ずしも悪いものではなく、使い方次第だと思います。独りよがりでなければ、その欲望は意義のあるものになります。ところが、わりに欲望は独りよがりなものになりやすいんですよね。食欲・財産欲・名誉欲など・・・。これでは欲望の雲に覆われて、自分自身の歩むべき道を見失ってしまいます。御嶽山中の如きです。しかし、欲望の使い方を間違えなければ、道ははっきりと見え、目的地までもが鮮明に見えるほど、カラッとした晴れ間が広がるのではないでしょうか。
 御嶽登山の折、山中に入ること1時間で見事に晴れ間が広がりました。頂上へ向かう道ははっきりと見え、皆が確実に頂上に向かっています。森林限界を超えた所には、シャクナゲが地面を覆うようにたくさんの花を咲かせていました。標高約2800mのところにも、私達と何ら変わりない命の営みがあったのです。登りきった飛騨頂上には、残雪の中に真っ青な池がありました。

 木食草衣(もくじきそうい)心 月に似たり
 一生無念 また無涯
 もし人 居 いづれの処にあるかを問わば
 青山緑水(せいざんりょくすい)是れ我が家

 中国・龍牙和尚の詩です。自分の居場所、自分自身の心のありかは、この青山緑水にあるんだという詩です。この大自然の恵みによって生かされている私達の命の源は、この大自然に他ならず、私達自身が大自然の尊い生命の一つなのです。そしていずれは私達の肉体もこの大自然に帰っていきます。
 与えられた命、そして仮に与えられたこの肉体を完全燃焼するために、今自分のなすべきことをしっかりやり遂げることこそ、人生の目的ではないかと思います。
 ちなみに私はいろんな顔を持ってます。寺の坊主・掃除人・父親・夫・飲んだくれ・・・いろいろですが、その時その場を一生懸命生きたいと思います。それが「青山緑水是れ我が家」ということではないかと思います。

 

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