温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。
しばらくご無沙汰してました。いつもくだらない茶話におつきあいいただき、ありがとうございます。
先日、名前も住所も存じ上げない親子が温泉寺へお参りにみえました。50歳ぐらいのお母さんと、おそらく大学生ぐらいの娘さんです。「どこかでお会いしたことがあるんじゃないかなぁ」と思っていたら、やはりそうでした。元気よく「和尚さん、お久しぶりです!」とお二人そろって声をかけて下さいました。でも私はこのお二人がどなたなのか、さっぱり思い出せませんでした。
それもそのはず。このお二人は半年ぐらい前に急に温泉寺へ来られ、ものすごく落ち込んだ様子で、恥ずかしそうに、「このお寺で、水子供養はしていただけるのですか?」と尋ねてこられた方だったのです。こういう話はけっこうあるので、私は名前や住所は尋ねずに、境内の水子地蔵さんを指差して、「あのお地蔵さんは、水子地蔵さんですから、日にちを教えてもらえば供養できますよ。」と簡単に返答しました。いろいろ事情があるのだろうから、何も聞かずにおこうと思ったのです。
ところが、お二人はずいぶん悩んでおられた様子で「日にちはまだわかりませんが・・・。」とおっしゃった後で、くわしく事情を説明されたのです。こんなことまで聞いてもいいのだろうかと思いましたが、私はおっしゃるとおり一部始終を聞きました。娘さんは結婚はしておられないのですが、たいへん嫌なつらい思いをした結果、子供を身篭ったそうなのです。「こんなことになるなんて!」と、お二人とも涙ながらに話されました。残酷な過去の経験と、この先の不安を打ち明けられたのです。私は「これはひどい話だな」と聞いているのが精一杯でした。結局、身ごもった子供を産もうか、中絶しようかを悩んでおられるようでした。お二人は、娘さん自身まだ若いし、これからショックを乗り越えて新たな人生を望んでおられるような気がしました。だから中絶した後、子供を供養してくれる寺を探しに来られたのでしょう。ただ、そこで簡単に一人の新しい命をつぶすことをしてもいいのか、葛藤があったようです。
私はどちらとも返答しませんでしたが、(いや、返答できなかったのです。)子供を授かることができなくて悩んでいる知人や友人のことを思い出しながら、
一枚のメモをお渡ししました。ちょうどその頃読んでいた高見順さんの小説にあった詩です。
ぶどうに種があるように
私の胸に悲しみがある。
青いぶどうが
うまいワインになるように
私の胸の悲しみよ
喜びに なれ!
私はこの詩をメモに書いてお渡しするだけで、精一杯でした。お二人はこれを読んで、本当にその通りだと頷かれました。そして私の半端な知識の中にある、高見順さんの生涯を簡単にお伝えして、お二人を見送ったのです。折しも私の家内がちょうど腹に四ヶ月目の赤ん坊を身ごもっていて、楽しみにしていましたから、お二人の帰る姿を見て複雑な心境でした。
それから約半年後、つい先日私の前に姿を見せて下さったお二人は、当時とはまるで様子が違い、晴れ晴れとしていて明るく、懐かしそうに笑顔で声をかけてくださいました。「まるで感じが違うなぁ」と、驚きながら、ふと車の中に目をやると、チャイルドシートにちょこんと赤ちゃんが座っていたのです。「あっ、赤ちゃんだ!」と驚いた瞬間、「私、産んだんです。」とニコニコしながら娘さんが、その後のことを話してくれました。自分の背負った悲しみを喜びに変えられるのは、自分しかいない。そして自分の人生を、将来後悔したくないから、赤ん坊を産んで育てようと決心したのだそうです。そして「この子が丈夫に育ちますように」と、お参りにみえたのです。本当に感激しました。哀れな姿になって水子供養の対象になるのかもしれなかった赤ん坊が、今ここで元気に笑ってるんです。私まで幸せな気分になりました。ついつい「有難うございました」と手を合わせてしまいました。
お婆ちゃんとお母さんになったお二人と、赤ちゃんの幸せを、心から願いました。名前も住所も相変わらず存じませんが、「また顔を見せて下さい。」と見送りました。
高見順さんの詩を、私は益々好きになり、境内の掲示板に書いて貼っておきました。
こよみでは立春を過ぎて何日かたちますが、まだまだ寒い日が続いています。
先日、小学校4年の息子の友達が何人か温泉寺に来てワイワイ遊んでいました。偶然彼らの遊んでいる部屋を通ったとき、おもしろい会話を耳にしました。「ケンカでもしているのかな?」と思うほどの口調で
「俺は3億人の中で生き残った1人だぞ!!」
と叫んでいました。最初は何のことかわかりませんでしたが、そばに保健体育の教科書が転がっていたので、「なるほど。保健の授業で人間が産まれてくるしくみをならったんだな。」と納得しました。
「俺は3億人の中で生き残った1人だぞ!!」
何だか微笑ましく、心地よい気持ちになりました。彼らがその意味をどういう具合に受け止めているのかは、わかりませんが、とりあえず「赤ん坊になれなかった2億9999人のためにも、これから先どんなことがあっても生きていくんだぞ!」とついつい余計なおせっかいを言ってしまいました。(笑)
その彼らとちょうど同じようなことを産まれた直後に言った方があります。お釈迦様です。
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
とおっしゃったのです。「この世の中に「私」という存在は「私」しかいない、この命は誠に尊いものだ」という意味でしょう。漢字をそのまままっすぐに直訳すると、この世の中でただ私一人のみが尊いのだ、という意味になりますが、これは間違いです。誰にでも、また人間以外のどんな生命体にも共通する「命の尊厳」を説かれたのです。
3億個の精子が、一つの受精卵になるために競争して、生き残ることができるのは、たった1つ。全滅の場合もあります。今、自分がこうして生きていることを、奇跡のように感じます。決して無駄遣いできない命の尊さを、子供達の会話が改めて教えてくれました。
最後に、京都・南禅寺の元管長・柴山全慶老師が素晴しい詩を残しておられますので、紹介します。
「一輪の花」
花は 黙って咲き
黙って 散っていく
そうして再び枝に帰らない
けれども
その一時一処に
この世のすべてを
託している
一輪の花の声であり
一輪の花の真(まこと)である
その日の心 忘れずに
婿や姑に きらわれもせず
永遠にほろびぬ
生命のよろこびが
悔いなく そこに
輝いている
前回の「人生七転び八起き」の話について、ある会社の社長さんから忠告をいただきました。内容は「人生七転び八転びですよ。」ということです。
そう言われてみると、私の人生も転んでばかり。何一つ満足に自分で起き上がったことはないなぁと、妙に納得してしまいました。故郷出雲では両親・祖父母の他、学校の恩師、友人に恵まれ、何とか大学に進み、京都の大学時代、専門道場時代十年間も、たくさんの老師様方・先輩にどれだけ迷惑をかけたか、振り返ると恥ずかしいことばかりです。また、こんな私にでも惜しみなくお酒を飲ませてくれ、ご馳走をして下さった方が京都に何人もおられます。たくさん失敗をしてしまいましたが、皆さん今でも懲りずにおつきあいしてもらっています。今日こうして下呂の地で衣を着ていれるのも、周りの方達の恩情によるものです。
こうした経過を経て、今ではさぞかし立派な住職であると思いきや、これがまた下呂に来てからも失敗の繰り返し。そのほとんどの原因が「酒」でありますから、情けないものです。「酒の無い国に行きたいなぁ」と、どれだけ思ったことでしょう。仏教に「不飲酒戒」という戒律がございますが、破りっぱなし。それでも地域の皆さんに支えてもらって何とか温泉寺においてもらっています。住職が支えてもらっているということは、温泉寺自体皆様のお力添えで成り立っているということです。
考えてみると、人生七転び八転びですが、それ以上に、自分が気が付かないところでもたくさんの方に起こしてもらっているんだなぁと思います。劇作家・倉田百三さんがこんな言葉を残しておられます。
「自分で生きているなんて、
とんでもない思い上がりだった。
許されて生きているのだ。」と。
これは闘病中、何のために自分は生きているのかと、悩みに悩みぬいた末、倉田さん自身が出した答えだそうです。「許されて生きている。」とは本当に重みのある言葉です。一体何に許されているのでしょうか。
結論を申しますと、「人生七転び八起き」の最初の一起きは、前回の茶話にて自分なりに解決したと思いますが、あとの七起きは、決して自分で起き上がるのではなく、これもまた周囲の皆さんに起こしてもらっていると認識しなくてはならないんです。そればかりか、空気・太陽の光・水などの自然の恵みによって起こされているんです。起こしてもらうということが、許されるということではないかと思います。折角与えてもらった人生ですから、しっかり歩まなくてはと、反省頻りです。今回私に忠告して下さった社長さんのおかげで、また一つ大切なことに気づきました。
ところで最後にお願いがあります。世の中のお坊さんは、みんな真面目な方達です。私の文章を読んで「坊主ってやっぱりこんなものか!」などと決して誤解をしないで下さい。こんなふざけた坊主は他にはいません。その点だけお願いして、今日はここでお開きにします。
お正月も一通り行事が終わり、今日はもう15日です。旧暦でいう小正月ですね。小豆粥を食べたり、お正月の物をどんど焼きして、その火でお餅を焼いて食べたりして、一年の無病息災を願う行事が各地で行われます。
また最近は変動式になりましたが、かつては「成人の日」でもありました。私事を申しますと、成人式は11年前のことで、お寺の中におりましたから、わざわざ故郷へ帰って成人式に出席するということはありませんでした。ですが、大学の先生からお祝いの言葉をいただいたことを覚えています。「七転び八起き」という言葉でした。文字通り、これからは誰にも頼ることなく、自活せよ。自活してからは、壁にぶつかって転ぶことが幾度とあるだろうが、転んでも転んでも常に自分で起き上がっていくのだよ、という励ましの言葉でした。
大切なことだなぁと有難かったのですが、ここで一つの疑問が浮上します。
「なぜ七回転んで八回起きることになるの?」
普通一回転べば一回起きます。二回転べば起き上がるのは二回目になります。すると七回転べば、起き上がるのは七回目だから、「七転び七起き」のはずなのに・・・。何かの計算ミスかぁ、と思っていたら、その答えを教えてくれた和尚さんがいました。
「自分が成人に至るまで、どれだけの方の恩を受けているか考えてごらんなさい。」というのがその答えです。なるほど、ここに至るまで、たくさんの方達にお世話になったよなぁ、と痛感しました。お世話になった方達の数は、到底数えきれる数ではありません。いろいろな方達の力添えにより、今、自分は一度転ぶ前に、已に一度起こされているんだと、気づきました。ですから一度転んで起き上がるときは、もう二回目なのです。
考えてみると、この世に生を受けたこと自体、たくさんの方達の「おかげ」なんですよね。2人の両親がいて、両親を産んだ祖父と祖母は4人、祖父と祖母を産んだ曾祖父と曾祖母は8人、その上は16人、ずっとさかのぼって10代前になると1024人という先祖の数になります。このうち1人でも欠けていたら、自分の命はなかったことになるんですねぇ。不思議なものです。「七転び八起き」の意味を、深く感じることができます。
こうして考えると、本当に多くの方々によって私達は支えられているのですが、どれだけ受けたかわからない程の量の恩を、どうやって返していこうか悩みます。成人した後も、今現在でもたくさんの恩恵をいただいております。それは返しても返してもきりがないほどの量です。だから、誰彼問わず、普段から常に感謝の気持ちで以って少しでも恩に報いていかなければならないなぁと思います。
東京・聖路加国際病院の日野原重明先生は、熱心なキリスト教の信者だそうですが、全く同感できることを述べておられます。
「長生きは、すばらしいことです。
時間があるということは、
長い人生の繕い(つくろい)をする時間が
たくさんあるということです。」
この考え方、本当にその通りだと思います。
皆様、新年明けましておめでとうございます。それぞれにこの一年間の希望を胸にお正月をお過ごしのことと存じます。昨晩から元旦にかけて、温泉寺は除夜の鐘で賑わいました。いろんな思いを込めた除夜の鐘声が、下呂の街に高らかに響きわたりました。
さて、迎えた平成18年は戌年です。犬と言うと忠誠心が強く、また可愛らしい姿が目に浮かびます。鎌倉時代、京都栂ノ尾・高山寺の明恵上人は、境内に迷い込んだ子犬を終生寵愛されましたし、徳川幕府五代目綱吉公の生類憐れみの令や、最近では渋谷の忠犬ハチ公の話はあまりにも有名です。犬に関する逸話はたくさんありますが、古来より親しまれてきた犬。その愛くるしい眼差しと、忠誠心の強さから、戌年は子育てに縁起の佳い年であると言われています。
また、中国にはこういう話もあります。韓非子に出てくる斉王と画家との問答の中で、「犬馬は難く、鬼魅(きみ)は易し」という言葉。これは、画家が絵を描くのに普段見慣れている犬や馬は描きやすいように思えるが、皆がその姿をよく理解しているため、本当は難しく、鬼や妖怪などは難しそうに思えても、皆がその実態を知らないため、ものすごく描き易いということです。私達の日常に置き換えると、普段と違う目立つようなことをすると、人目につきやすく、あるいは称賛される場合もあるでしょうが、それは意外に簡単なことで、当たり前のことを人目に触れない所で毎日続けることは、すごく難しいということです。お寺の行事をみても、一年に一度だけの大行事や、人様が集まって下さる行事はたいへんなように思えますが、準備や片付けが少々たいへんなだけで皆様に喜ばれるから、それほどのことではありません。しかし、毎朝夕の鐘つきやお勤めは、当たり前のことですが、特に寒さの厳しい朝や寝不足の朝、二日酔いの朝などは鐘だけついてお勤めは誰も見てないし休もうかなぁ、などという怠け心がついつい生まれてしまいます。当たり前のことを毎日続ける難しさを痛感します。
今年一年戌年にちなんで、「犬馬は難く、鬼魅は易し」を肝に銘じて過ごそうと思います。
最後に、皆様にとって素晴しい一年になりますように。