温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

お釈迦様、ごめんなさい。  2005年12月8日更新

本日12月8日は、我が大恩教主釈迦牟尼世尊(釈尊)がお悟りを開かれた、言わば成道の日です。簡単に言うと、この世に生きながらにして仏(如来)になられた日です。
インドでは本日、釈尊成道の地・ブッダガヤーにて盛大に法要が営まれます。
わが国でも、各宗各派の寺院で、本堂や床の間に出山釈迦像を祀り、それぞれに成道会という法要が営まれます。特に我々坊主にとってはとても大切な日であり、同時に忘れることのできない日でもあります。
当時釈尊は、6年間一日も怠ることなく難行苦行を徹底されました。玄奘三蔵の「大唐西域記」によると、正覚山中腹の崖の中に大きな石室があり、そこで釈尊は修行なさったそうです。しかし、長年の難行苦行の末、ここでは悟りに至ることができないと、釈尊は下山し、ネーランジャラー川のほとりでスジャータという少女に乳粥の布施を受けます。そこですっかり身も心も癒された釈尊は、そのまま静かにピッパラ樹(菩提樹)の下で瞑想に入ります。そして12月8日鶏鳴の頃、明けの明星を見て「万物と我と同根」と、お悟りを開かれたのでした。
それまでは、釈尊も自分自身の煩悩や次々に浮かびあがる欲望や怠け心との、凄まじい戦いでした。ついにそれを超越し、生きながらに仏(仏陀)となられたのです。
それにちなみ、全国の修行僧は専門道場で12月1日から8日まで、命取りの修行と呼ばれる「臘八大摂心」を毎年繰り返すわけです。私もそれで何度となく痛い目に遭いました。なにしろ自分で自分自身を追い込むのですから、苦しいのは当たり前です。その上、少しでも気を抜いているのがばれると、先輩達の鉄拳が飛んできます。一生懸命頑張って、8日の鶏鳴をすがすがしく迎えることのできる修行僧と、ただ疲労感だけが残り、8日の鶏鳴を虚しく迎える修行僧と、両方ありましたが、私はいつも後者でした。3日目頃までは気合を入れて、ガムシャラにやれるのですが、4日目頃から緊張感が途切れてきて、とにかく悟りなんてどうでもいいから、早く終わってくれ〜、と思っていました。完全に惰性で迎えた6日目頃の朝、決まって「古人刻苦光明必盛大也」という言葉でもって叱咤激励されます。これはかつて白隠禅師が修行をあきらめそうになった時、禅関策進という書物をたまたま開くのですが、そのページに中国の高僧・慈明和尚(石霜楚円禅師)が座禅中に襲ってくる睡魔を打破するため、錐で自分の太ももを刺し、修行を大成させたという逸話が載っていました。そこに先の句が添えられていたのです。これを読んだ白隠禅師は、修行をバカバカしく思ってはいけない、やはり真剣に取り組まねばならないと、奮起されました。苦しみを刻めば刻むほど、その先に見えてくる光明は必ず盛大であると。
私もこの言葉を受けてなんとか8日目の鶏鳴を迎えるのですが、何年やってもなかなか昔の祖師方・まして釈尊のようにはいきません。その状態で専門道場を下山して、おめおめと温泉寺の住職をしているのですから、情けないものです。いつも今日・12月8日は反省と、釈尊に対する懺愧の念にかられます。
しっかり「自分は釈尊の弟子である」ことを自覚して、精進してまいりたいと思います。そうは言っても最近は夜になると忘年会続き。喜んで出席するたびに、クソ坊主とか生臭坊主に変身してしまうのです。哲学者・梅原猛さんに叱られる所以です。お釈迦様、ごめんなさい。

 

月  2005年12月6日更新

 先月の紅葉ライトアップは、おかげ様で大盛況のうちに終了できました。たくさんの方々に助けてもらい、本当に感謝しています。
 その後は、残務整理と落ち葉の片付け等で、非常に忙しく、更新がなかなかできませんでした。また、12月に入ってから急に雪が降り出し、今朝は50センチの積雪で、午前中は雪かきに追われてしまいました。12月上旬でこの積雪量に驚きました。
 さて、不精な私がなかなかこのページを更新しないのは、第一の理由として「忙しいから」ということにしておりますが、この「忙しい」という字は、心を亡くすと書きます。心を亡くすということは、まさしく「気が無い」ということになります。本当にやる気があれば寝ないでも更新できるはずなのに・・・(飲む時間はあっても仕事をする時間は無いんですよね〜)と、自分が恥ずかしくなります。
 かつて良寛和尚の伴侶「貞心尼」、京の都の「蓮月尼」と共に女流三大歌人と称された「加賀の千代」が面白い歌を残しています。
「とやかくと たくみし桶の 底ぬけて
         水たまらねば 月もやどらじ」
慌しく忙しい毎日の中には、澄んだ夜空に浮かぶ月(自分の純粋な姿・または今やるべきこと)は見えてきませんよ〜!ということでしょうか。
 これから年末で益々忙しい日々が続きますが、心の中だけはゆったりと、自分の本分を見失わないように心がけたいと思います。
 で、ホームページの更新もできるだけ努力しようと思います。(笑)

 

紅葉ライトアップ  2005年11月21日更新

最近忙しくてなかなか更新できませんでした。でも忙しいというのは、逃げ口上ですよね。
ただ今、温泉寺周辺は美しくライトアップされています。紅葉のライトアップは、本当に風情があって好いものです。この行事は、たくさんのボランティアの方々によって支えられています。準備の段階から、有志の皆さんによるご苦労は多々あります。機材の設置、看板の設置、宣伝広告等々全て手作業によるものです。期間中は案内係、ライト・ローソクの点灯係、抹茶席の接待係と、本当にたくさんの方々が助けて下さいます。感謝・感謝です。
19日には尺八献笛、本日21日は二胡コンサートと、このライトアップもいよいよ盛り上がりをみせます。
なにより地元の皆さんに愛される寺になれば、これ以上のことはありません。お釈迦様の時代、インドでは寺のことを「ビハーラ」と呼んでいたそうです。「ビハーラ」とは、「癒しの場」または「安心の場」という意味です。温泉寺も地元の皆さんにとっての「ビハーラ」でありたいと願っています。
最後に、今回添付の写真は、先日試験点灯の際に、望川館の支配人さんが撮影して下さったものです。有難うございました。

 

モミジ  2005年11月2日更新

 11月に入ってから、朝晩の冷え込みがきつくなってまいりました。毎朝の鐘つきやお勤めが、だんだん億劫になってきます。どこが一番寒いかというと、坊主の私にしたら頭が一番寒いんです。今朝も「嫌だなぁ〜」と思いつつ鐘をついていたら、向こうに見える境内のモミジが少し色づいているのに気づきました。「紅葉の季節だなぁ」と、妙にしみじみとしてしまいました。
 考えてみると、モミジの一年もたいへんなものです。春、若葉が芽をだしてから、きれいな青に生い茂る頃、入梅が重なり必ず雨が降ります。夏は猛暑がしばらく続き、その後は台風がやってきます。大雨、大風、猛暑と、モミジにとって良い日ばかりではありません。苦労を一年続けてようやくあの素晴しい紅葉を染め出だすのですね。苦労を避けるのではなく、モミジはいつでもじっと我慢をしています。
 お釈迦様の教えの中に「大円鏡智(だいえんきょうち)」という智慧がございます。読んで字の如く、大きな円い鏡の智慧ということです。鏡は自分に映し出すものを、決して好き嫌いしませんよね。子供も大人もお年寄りも、男でも女でもありのままを映し出します。きれいな花も、汚いゴミも、差別なく映します。たとえ好きなものが目の前に来ても、わざとより一層きれいに映すことをせず、また目の前を去っても追いかけることをしません。嫌いなものが来ても、わざと余計に醜く映すことをせず、また自分から排除もしません。鏡は何でも素直にありのままを受け入れます。これがまた大きな円い鏡ですから、自分の許容範囲はものすごく広がるわけです。我々人間もこうでなくてはならないと、お釈迦様は示しておられるのです。
 頭ではよく理解できる教えですが、実行しようと思うと、これがなかなか難しいんです。食べ物の好き嫌いはあるし、人間関係にも好き嫌いがどうしてもあるんです。でもこれを表に出すか出さないかで、世の中は随分変わります。モミジは愚痴一つこぼさずに立っているから、余計に紅葉が美しく、見るものの心をきれいにしてくれるのではないでしょうか。

 

生椎茸と干椎茸  2005年10月24日更新

 最近、あるお宅でお嫁さんとお姑さんとの激しいバトルに出会いました。原因は単純で、お互いの誤解が招いた喧嘩でした。第三者の私は、どちらの意見も頷ける内容でしたが、双方積もり積もった鬱憤が爆発し、どうやら我慢の限界を越えてしまったようでした。
 このような話は、どこにでもある話でしょうが、当事者は一大事です。「もうこの家を出て行く!」という事態にまで発展してしまいました。
 これは困ったなと、あれこれ解決策を探っていたら、「椎茸」の話を思い出しました。椎茸には「生椎茸」と「干椎茸」があります。生椎茸は、とても柔軟で瑞々しく、焼いても揚げても本当においしく食べられます。塩や醤油の調味料は、あたかも若い女性が化粧をするが如く、自身をとても味わい深いものにします。一方、干椎茸は見るからに干からびて皺がより、かちこちに凝り固まっていて、まるで老婆の如くです。(お年を召した方、ごめんなさい。)しかし、見た目とは裏腹に、干椎茸はよく調理のダシに使われるとおり、自身が非常に味わい深いのです。生椎茸が調味料を使って醸し出すうまさとは違い、干椎茸は自身そのものに深い味わいがあります。
 お嫁さんとお姑さんの場合も同じだと思います。お嫁さんは若くて生き生きとしていて、仕事も早く、何にでも対応できます。お姑さんは、年を取っていて、昔のままの考え方で頑固ですが、豊富な経験と知識があります。その豊富な経験と知識が「生活の知恵」を生み出すのです。誰かが言ってました。「ボケられぬ
 しぼればまだ出る ババの知恵」本当にその通りだと思います。
 禅宗の言葉に「山雲海月の情(さんうんかいげつのじょう)」という言葉があります。山は山で美しく、雲は雲で美しいのですが、山にかかる雲、雲のかかった山はもっと美しい。海は海で美しく、月は月で美しいのですが、月の見える海、海面に浮かぶ月はもっと美しい、という意味ではないかと思います。お嫁さんとお姑さんの気持ちが一つになった時、「山雲海月の情」が現実世界になり、それはそれはとても美しい世界であります。 お互いが良いところをよく理解し、またお互いが我慢しあってできる世界です。
 同じ屋根の下で家を守ってくれているお嫁さんとお姑さん。どうか仲良く助けあって、一家の繁栄あらんことを願っています。

 

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