温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

感謝!  2012年12月7日更新

旧飛騨屋邸地蔵堂〜文政4年〜修復落慶

平成24年10月24日、200年前の遺構、4代目飛騨屋久兵衛益郷建立の地蔵堂を修復致しました。ご協力賜りました皆様方に感謝申し上げます。

尚、飛騨屋久兵衛については、改めてご紹介させていただきます。

「千代観音像」 

平成24年8月、下呂温泉水明館社長ご夫妻が、ご母堂様・故、瀧千代子様を偲んで温泉寺境内に建立。遠く水明館を臨む見晴らしの良い場所に、癒しスポットがまた1つ増えました。

 

平成24年もあとわずかとなりました。下半期も先住職1周忌、地蔵堂修復事業、紅葉ライトアップと、それぞれ皆様方にはお世話になりました。

一々ご挨拶させていただくのが本意ですが、略儀ながら衷心より御礼申し上げます。

また来年もよろしくお願い致します。

たくさんの方が写経を納めて下さいました。

年末年始もやってます。どなたでもご自由にどうぞ!

 


 

見どころは紅葉だけではありません!  2012年11月19日更新

 本堂の迎え花(山下真理子様)

 本堂への渡り廊下

 渡り廊下から見る中庭の紅葉

 書院、小原和紙工芸(熊崎英和氏)

 中書院、押花絵ギャラリー(押花アトリエ花遊びの会様)

 書院、絵手紙ギャラリー(四季の会様)

 

誰にでもできる、 ホッとひといき「十分間写経」

出展者の皆さま、ご協力ありがとうございます。

25日まで宜しくお願い致します!!


 

見ごろの紅葉と足湯、25日まで!  2012年11月18日更新

 見ごろを迎えた紅葉と、特設もみじ足湯。

 

 


 

雲を耕し、月に種まく  2012年7月1日更新

舞妓さん(左・菊乃さん、右・雛乃さん)

去る6月24日(日)は、恒例「檀信徒の集い」という言わば温泉寺の檀家総会でした。「檀家」と言わずに「檀信徒」と表現しているのは、このお寺が一般的に「檀家」と位置づけられている方ばかりでなく、その枠を超えた多くの地域の皆さまに支えられて成り立っているからです。ですからご自分の家の菩提寺の他、温泉寺に対してもご協力下さっている方が多くおみえになり、温泉寺の檀家さんは勿論のこと、そういった言わば信者さんに対しても1年に1度、感謝の意味も込めて、各種決算報告と共に一献やりましょう!という集いが「檀信徒の集い」です。

 

今年は4月にデビューした舞妓さんと、そのお姉さんにあたる芸妓さんをお招きし、本堂で初々しい舞いを披露していただきました。「お寺」と「舞妓さん」の組み合わせも温泉地独特の風情で、どなたも文句をおっしゃいません。それどころか、当日いらした方の中には、

「昔は何かあるとみんなが寺に寄って、境内で花見をしたり、お祭りしたり、その度に芸妓衆が踊って舞って、楽しかったよ。」

と言って下さる方もありました。温泉寺を通称「芸者寺」と呼んだ時期もあったとか・・・。とにかくそれを証明する写真(昭和5年前後)も何枚か残っていて、日本人の心の故郷ともいえるような素朴な光景を、後世にも残していきたいという役員さん達の粋な計らいで、今回の「檀信徒の集い」が実現しました。

 

ところで話は一変しますが、この春、真田幸村公ゆかりの地、信州上田市真田町にある「耕雲寺」というお寺さんへお邪魔させていただきました。正式には「種月山耕雲寺」とおっしゃるそうで、ご住職からその山号寺名の由来となった「耕雲種月」という禪語について、教えていただきました。

 

「耕雲種月」を、「雲を耕し、月に種まく」と読むと解り易いと思います。雲を耕すということ、月に種をまくということ、一体何を示す言葉でしょう?

解釈は勿論いろいろあると思いますが、雲を耕すことも月に種をまくことも、実際には不可能であり、たとえ実現したとしても何の実りも無い、つまり無駄なことであります。おかげさまで私たちの住む世界には、太陽があり、土があり、文字通り天地の恵みにより生かされています。だから雲を耕すことも月に種まくことも、余分なことで、全く必要ありません。

 

ところが私たち日本人は、一見無駄にみえるようなことを、とても大切にしてきました。その代表的なことが「信仰」だと思います。天を敬い、人を愛すことです。これが心の根底にあるからこそ、人が集い、お祭りもできて、とても温かい気持ちになれるのです。更にこの心の豊かさを、後世に伝えていくことができるのだと思います。

 

このデジタルな世の中に神社仏閣が未だ存在できていることも、「耕雲種月」の心がまだ私たち日本人の心の中に存在しているからだと思います。逆に言えば、ネット通信がチャットやフェイスブックなどで更に便利になった現在だからこそ、「耕雲種月」の心を大切に忘れないでいたいと思うのです。

 

これと同義にあたる言葉で「雪を担って共に井を埋む」という禪語もあります。「井戸を埋めるために、せっせと雪を運び入れる」というんですね。いくら雪を運び入れても、井戸を埋めるという目的は達成されないでしょう。しかしながら、無駄だと思えるような努力でも、コツコツと諦めずに続けていくことが大切なのだ!という先人からの叱咤激励の言葉だと解釈しています。(特に修行の身であるはずの私には辛い言葉ですが・・・)

 

何にせよ上田の耕雲寺様のおかげで、また1つ、心の豊かさを与えていただきました。今回の「檀信徒の集い」では何時になく懇親会が盛り上がり、男性女性問わずゆっくりと時を過ごせた感があります。ありがとうございました。


 

ほとけの子〜はなまつり〜  2012年5月7日更新

〜若宮神社から温泉寺まで象ひきパレード〜

今年も子供の日恒例「はなまつり」が開催されました。総勢60名の子供たちがお釈迦様を乗せた白象を、若宮神社から温泉寺まで引いてきました。まだお母さんに手をひかれて歩くお子さんから中学生まで、たくさん参加してくれました。遠方に居られる方も、ご家族総出で参加して下さっていて、都会の生活の中で「田舎・下呂」を想う気持ちを嬉しく感じました。

 

最近、子供たちが犠牲になる事故が多発しています。いろいろな災いの矢が飛び交っているこの世の中で、どうか無事に元気に成長して欲しいという願いは、どこの親御さんも想いは同じです。ただ単にお釈迦様のご生誕をお祝いするだけではなく、その願いを、誕生仏(お釈迦様生誕のお姿)に託すのが、はなまつりです。

 

思えば、私たちの「命」は、両親のご縁により母親の胎内に宿された時から、この世と縁が結ばれます。(宿命)

 

およそ十月十日の間、母親の胎内で育ててもらって、たいへんな苦労の後、母親によりこの世へ運んでもらいます。(運命)

 

そして、今まさにその「命」を私たちは使わせていただいています。(使命)

 

私たちは今、使命の真っただ中にいるんです。それをどう使わせていただくか、子供たちに伝えたいのですが、残念ながらなかなか上手に伝えることができません。

 

「いくら仲の良いお友達も、自分の代わりにおしっこはしてくれない。」

のと同じで、

「お父さんやお母さんであっても、自分の代わりに命を使うことはできない。」

「お父さんの命を貸して。」

と言われても、

「いくら可愛い我が子であっても、貸してあげることはできないんだよ。」

「だから、命って尊いものなんだよ。」

と、せいぜいこのくらいのことしかお話できませんでした。

 

でも、みんなで般若心経をお唱えした後、かき氷や綿菓子を食べながら、あるお母さんがお子さんに、

「どうせ使うのなら、人に優しい命であってほしいな。」

と言って下さっていました。

お子さんも笑顔で「うん!」と、大きくうなづいてくれていました。

 

この会話を聞いただけで大満足でした。

お手伝いいただきました湯之島子供会の皆さま、ありがとうございました。

 

 

 

 

 


 

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