温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

紅葉ライトアップ「祈りの夕べ」  2011年10月18日更新


 

当たり前の有難味  2011年9月2日更新

今年のお盆は日本国民にとって特別なお盆でした。東日本大震災により命を落とされた何万人もの方々の初盆だからです。

 

といっても私どもにできることは、ただご冥福をお祈りすることと、一日も早い復興を祈ることだけでした。10日のお精霊迎え「千燈会」、15日の灯篭流し・川施餓鬼、18日の山門施餓鬼会は、被災物故者のご供養に加え、今ある命のありがたさを痛感する機会になりました。例年よりも格段に多かった参拝者1人1人が、しみじみと命の尊さを感じて下さっていました。更にいえば、「当たり前」で居れることのありがたさを考えさせられる機会になりました。

 

昭和54年、32歳の若さで逝去なさった井村和清さんに「あたりまえ」という詩があります。

 

あたりまえ

 

こんなにすばらしいことを みんなは何故喜ばないのでしょう。

 

あたりまえであることを。

 

お父さんがいる。 お母さんがいる。

 

手が二本あって、足が二本ある。

行きたい所へ 自分で歩いて行ける。

 

手を伸ばせば何でもとれる。

音が聞こえて 声が出る。

 

こんな幸せ、あるでしょうか。

しかし、だれもそれを喜ばない。

当たり前だと、笑ってすます。

 

食事が食べられる。

夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる。

 

空気を胸いっぱいにすえる。

笑える、泣ける、叫ぶこともできる。

走りまわれる。

 

あたりまえのこと。

こんなすばらしいことを、みんなは決して喜ばない。

それを知っているのは、それをなくした人たちだけ。

なぜでしょう。

あたりまえ。

 

 

本当に私たちは今こそ「当たり前」で居れるありがたさに感謝すべきだと思います。ついつい忘れてしまうことでありますが、実はこれが最大の幸福なのだと思います。

 

温泉寺は、これから11月の紅葉シーズンの準備に入ります。ライトアップ期間中はたくさんの催しが開かれ、1年で1番賑わいます。それと同時に今回は、ご来場なさった方みんなが、命の尊さを感じ、「当たり前」の有難味に触れていただけるような紅葉ライトアップになればと思います。

 

先の見えぬ東北復興を応援するためのチャリティーコンサート、祈りの燈など、寺ならではのライトアップになろうかと存じます。原則入場無料、是非お気軽にお越し下さい。


 

身近な東北(百日忌)  2011年6月26日更新

(被災物故者百ケ日法要) 

(下呂温泉から避難所へ温泉が届けられました)

 

 先般、6月19日(日)は温泉寺の檀信徒総会でした。通称「檀信徒の集い」とよんでおりますが、6年前より会計報告や意見交換の場として、また余興や懇親の場として毎年開催しています。要するに、寺と檀信徒の皆さんとの距離をできるだけ近づけていこうという役員さん達のねらいです。

 

 あまり堅苦しくないように気軽に参加していただけるよう、去年は下呂温泉の誇るべき文化の1つ、湯の花芸妓衆の舞を本堂にて奉納いただきましたし、一昨年はコンサートを開催しました。

 

 さて、今年はどうしようか?と考えておりましたら、役員さんから素晴らしい提案をいただきました。「東北にこだわろう!」と。

 

 実は温泉寺の石段を降りたところにお住まいのお宅に嫁いできておられる奥さまは、岩手県陸前高田市の方で、実家や家族を津波で亡くされています。また、そのすぐ先の薬局の御主人は、福島県郡山市の方で、やはりご実家は地震による被害に遭われ、今は原発問題に揺れておられるらしいのです。お二人とも温泉寺と同じ町内にみえる方なので、やはり遠い東北地方の話ではなく、とても深刻な悩み、突然の悲劇による深い心の傷は、すぐ身近なところにあるんだと改めて感じます。

 

 奇しくも6月19日という日は震災からちょうど100日目ということもあり、被災物故者の追悼をさせていただくことになりました。そして懇親会は自粛すべきところかも知れませんが、敢えて東北地方の材料を使って行いました。(酒10升東北各地のもの、岩手産ひとめぼれのおにぎり、秋田産ハタハタの炭火焼、宮城産笹かまぼこ、仙台味噌の味噌汁、お茶菓子は福島県郡山市のお饅頭・・・など)たった60名分ですが、約150匹のハタハタの炭火焼は圧巻でした。

 

 呑むことばかり考えていた訳ではありませんが、みんなで東北を想って焼香して、被災地の写真を見て、現地へ温泉を運んだ配湯ボランティアの方のお話を聞いて、東北の魚の匂いをかぎ、それを賞味する。まさに五官をフル回転させて東北を感じた檀信徒の集いとなりました。被災なさった方々にとりましては、あまりにも軽率な発想で、ご無礼なことかと存じますが、参加者は私を含め、改めて命そのものを考える機会になりました。

 

 6月10日の新聞に、花谷清さんという方の俳句が紹介されていました。

 青くるみ 死者は生者の 内にのみ

 

 この句に長谷川櫂さんがこのようなことを綴っておられます。

 死者とは肉体を失った人。その死者は生者の記憶のなかにしか存在しないというのだ。この句を読んで今回の大震災で亡くなった多くの人々を思った。家族ごと亡くなった人を誰が記憶にとどめるか。肉体を失うことは、かくも切ない。

 

 本当にその通りだと思います。仏教哲学では、本来存在しないものが仮に肉体となって出現しているだけで、死もなく生もなく、善もなく悪もなく、喜もなく憂いもない・・・(浅学故に甚だ浅はかな解釈ですが)表面的にはこのような具合ではないかと思います。しかし実は、この世に生れてきた以上、自分の死とどう向き合うか、或いは他人の死に対してはどう向き合うか、ということを問いかけているのではないかと思うのです。

 

 

 他の死に対する追憶の念、追悼の念、要するに「忘れない!」ということが、「当たり前に命あることのありがたさ」を感じさせてくれ、生きる喜びを感じさせてくれる。これが命を寿ぐことであり、やがてやってくる自分の死に対して素直に向き合うことができる大切な要素ではないかと思います。

 

 青くるみ 死者は生者の 内にのみ

 

 今一度、このたびの大震災にて命を失われた方々のご冥福をお祈りし、被災なさった方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。


 

気仙沼にて  2011年5月26日更新

(気仙沼市・地福寺様にて)

(禅興寺青壮年部会長様にいただいたシラネアオイ。

 震災を忘れぬよう、目立つ所に移植しました。)

 

東日本大震災から早くも2ケ月以上が経ちました。

ちょうど2ケ月目を迎える頃、5月9日・10日・11日と、東北地方へ赴くチャンスを得、大先輩の宮城県・禅興寺様を頼って、近隣の慈雲院様・地蔵寺様と共に行ってまいりました。

 

とは言え、自分たちが何処で何ができるか皆目見当がつきませんでしたので、あらかじめ禅興寺様に指示をいただき、微力ながら、気仙沼市・地福寺様にて瓦礫の仕分け作業をお手伝いさせていただくことができました。

 

道中、南三陸町を通りましたが、震災直後にテレビに放映されていたとおりの惨状を目の当たりにし、屋上に患者さんが避難されていた病院、最期まで町民に向け避難を促したという女性のおられた役場横の防災センターの鉄骨など、手を合わさずにおれませんでした。

また、この日がようやく小学校の始業式だったらしく、迎えに来たバスに乗り込む子供たちを見送る家族の姿がたくさんみえました。街が急に悲惨な光景に一変してしまい、不自由な環境の中でも笑顔を見せながら登校しようとしている子供たちを見て、久しぶりに人間のたくましさを感じました。家を失ったり、家族を失ったり、友達を失ったりで、不幸のどん底に突き落とされた子供達ばかりでしょうに、きっと将来強く生きていくことのできる大人に成長されていくのだと思います。

 

さて、私達一行が禅興寺様らと共に向かった先は、気仙沼市の地福寺というお寺でした。大字が波路(なみじ・・・と読むのでしょうか)という場所で、海岸から約1キロほど内陸に入った所に、去年新築なさって何とか持ちこたえた本堂だけが残されていました。皮肉にも地名の通り、全てが津波を受けてしまい、周辺は瓦礫だらけでした。以前は境内からは海が見えなかったそうですが、私達が参上した時には、何も無くなった住宅地の向こうに青い海が静かに広がっているのがよく見えました。

 

境内に散乱していた瓦礫を、業者さんに撤去してもらうため、私達は木材、粗大ごみ、瓦礫などという具合に仕分けしなくてはなりませんでした。気の遠くなる量でしたが、ちょうどその日は私達の他にも、全国から若い和尚さん方がお手伝いに来ておられ、総勢20名近くの人員で作業することができました。

 

作業中、何度も頭に浮かんだことは、下呂からせいぜい9時間から10時間ほど車を走らせただけの近い所で、こんなに世界が変わってしまっているという事実と、私どもはまた以前と何も変わらない生活に戻っていくのに、ここでずっと生きていかなければならない方たちがいるという事実でした。そこに共生・平等という言葉に対する矛盾を感じ、罪悪感さえ覚えました。

 

そんな中、午後3時の休憩に地福寺ご住職夫妻がお茶を出して下さいました。何ということもない世間話から、震災にてご自身が感じておられることまで、お話を聞くことができました。また、慌てて避難した隣の家屋の二階から携帯電話で撮影された、津波の第一波の引き潮の動画も見せていただきました。「速い!」と感じました。

 

特に印象的だったのは、お2人がとても淡々としておられ、私達の前だったからかもしれませんが、つとめて明るい表情をされていたことです。

「まさかこんな所まで津波が来るなんて、全く想像してなかったよねぇ。」

「ここがこんなに海に近かったなんてねぇ。」

という具合にとても気さくで、こちらに気を遣って下さっているような感じでした。

 

一方で最後に

「いろんな経験をさせてもらってます。皆さんのおかげです。お1人お1人の力が、本当に大きな力です。」

「お手伝いいただくためじゃなくても、是非この現実を多くの方に見ていただきたいと思います。」

と、私達を労って下さるお言葉と同時に、ただ、現実に起こったこと(自然と共に生きる厳しさ)を自分の眼で見てほしいという願いのお言葉をいただきました。

 

人間の力で、科学の力でもって自然の脅威に対抗するのではなく、その自然によって恩恵をも受けて生きている中で、どう人間は生きていくべきかを問われているような気がしました。そして「決してこのことを忘れてはならない!」という教訓をいただいたように思いました。

厳しいお言葉とは裏腹に穏やかな笑顔で話して下さるご住職夫妻にも、手を合わさずにおれませんでした。

 

まだまだ書きたいこと、伝えたいことはたくさんありますが、とにかく貴重な経験をさせていただきました。地福寺様のみならず、被災地の皆様方のご健勝をせつにお祈り申し上げます。

 

また、同じく被災されたにも関わらず、私共を快く受け入れて下さいました禅興寺様、禅興寺花園会青壮年部・女性部会長の石垣様に深謝申し上げます。

 

 


 

4月28日 追悼の鐘  2011年4月26日更新

写真〜楓月庭の石楠花のつぼみ〜

 

東日本大震災から1ケ月以上過ぎていますが、未だ復興の目途がたたない様子です。被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

私自身も現地に赴く予定ですが、恐らく想像以上の惨状を目の当たりにすることは間違いないと思います。身につけるものは革で揃え、カッパやヘルメットなどを用意しています。とにかく瓦礫の撤去作業が進んでいないらしく、人手が何より必要とのことです。

 

振り返ると16年前の阪神・淡路大震災の時も、ちょうど学生でありましたので、2ケ月間の春休み(1月末〜3月末)を利用して京都から神戸へ通いました。交通網がマヒしていたため、片道2時間以上かけて通い、瓦礫の撤去作業と仮設住宅に必要な物資の搬入をお手伝いさせていただいたことを思い出します。

 

あの時も気の遠くなるような毎日で、これからどうやって復興していくのだろうと、思っていました。今回は更に被災地の範囲が広く、地震の他、津波・原発事故と、トリプルパンチを受けています。しかし、16年前と今とでは自分の置かれている立場も違い、できることは非常に限られていますが、何よりみんなが普通の生活に早く戻れることを願っています。

 

先日、私たちの氏神様のお祭りがありました。祭礼だけでお旅行列は自粛しようという声もあったそうですが、今こそ復興祈願のために全てを例年通りにやらなきゃいけない!ということで挙行されました。

 

この氏神様のお祭りは神社の催しですので、私は毎年若干のご祝儀とお供えを用意するだけで、当番の時以外は寺に籠っております。今年はたまたま外で掃除をしていました。すると観光客の中の何人かが声をかけて下さいました。

 

その方たちは福島県から名古屋市内の親戚を頼って避難しておられるご家族でした。親戚の勧めで下呂温泉にお越しになり、久しぶりにゆっくりできたと喜んでおられました。

 

「下呂温泉も旅館のお風呂がいいだけで、他に何もありませんからねぇ。」

 

とお愛想で私が申し上げましたら、即座にこうお返事なさいました。

 

「そんなことありませんよ。普通にお土産物屋さんがある、喫茶店や飲食店もあるし、お寺もある。それより何より人がいる。これでいいじゃありませんか。いろんな人がそれぞれに生きている。他に何もいらないですよ。」と。

 

このご家族がお住まいだった街に、今は誰もいないらしいのです。

 

普通でいれることのありがたさ

 

これをしみじみと感じておられる様子でした。改めて私も痛感させられました。

 

その何時間か後、また同じご家族が、今度はわざわざ玄関にお越しになりました。何かあったのかなとお尋ねすると、

 

「今、たまたまお祭りのお旅行列を見てきました。観光客対象のイベントではない、所謂田舎の氏神様の祭典であろうと思いますが、そのお神輿の四方に復興祈願と大きく書かれていて、義援金箱もありました。こんな山奥の人たちも、私たちのことをちゃんと想ってくれているんだと感激しました。ありがとうございました。」

 

私はただの寺男で、このお祭りに直接関与していませんが、この言葉を聞いて嬉しく思いました。このことはお祭り関係者や地区の皆さまにも早速お伝えしました。

 

想いは必ず伝わる!これからも自分にできることを、小さなことでも続けていきたいと思いました。4月28日は震災から数えて四十九日目。未だ行方のわからない方も多くおられますが、被災して失われた多くの方々の命を偲び、追悼法要を予定しています。また2時46分より、追悼の梵鐘を多くの方についていただきたいと思います。

 

ご遺族の皆様にはあまりにも早い四十九日であったと思いますし、胸中にいろいろな想いをお持ちのことと存じます。しかしながら、共に生きていただきたいという願いもこめて、追悼の梵鐘を捧げたいと思います。

 

 

 

 


 

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