温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。
昨年来のコロナ禍、心よりお見舞い申し上げます。
全国的に、故郷へなかなか帰省することが叶わない方も、大勢おみえになると思います。帰省しようとする方も、帰省を待っておられる方も、感染症を理由にそれが叶わない状態が続いております。とても残念なことです。
そういう私も、実は随分長い間、帰省できておりません。両親にも、いつから会っていないのかわかりません。宗教者でありながら、実は祖父母やご先祖様のお墓参りも怠っています。
この春は、祖母の17回忌でした。ですが、実家のほうで早々に、お互いの健康維持のためにと、帰省することはやめておこうということになりました。実家近くの親戚だけを呼んで、無事に法要を済ませたようです。
両親が共働きの家庭で育った私は、小さいころはいつも祖母と一緒にいました。と言うより、いつでも祖母が一緒にいてくれていたのです。だから、17回忌に際して、ただ郵便局からお供えを送るだけのご供養は、何だか淋しく、情けない心地でした。
そんな私の想いを救ってくれた俳句があります。
その人の 足跡ふめば 風薫る
松尾芭蕉没後200年の明治26年、芭蕉を偲んで正岡子規が残した俳句です。その年は、芭蕉の200年法要はもとより、芭蕉追悼記念イベントが各地で盛大に行われたそうです。しかし、間接的にも芭蕉との縁を持ち得てなかった正岡子規は、ただ1人、静かに先の俳句を詠んだのでした。
『その人の足跡をふむ』ということは、『その人を偲ぶ』ことというふうに理解しています。時を問わず、場所を問わず、ただ「その人」を想い偲んでおれば、きっと『その人の風』が自分にも薫ってくるのだと、とても励まされております。
私たちはいつでもどこに居ても、大切な人のことを想うこと(偲ぶこと)ができます。それは直接的なご供養でなくとも、立派な心のご供養であります。この『心のご供養』こそが、今私たちにできる、祖先への最大のご供養ではなかろうかと存じます。
皆様方のご健勝をお祈り申し上げます。
秋がやってまいりました。新型コロナウイルスが流行している中でも、日本の四季はちゃんと動いていることを実感します。
春にはきちんと桜が咲きました。夏の猛暑の朝、朝顔がたくさん花を咲かせていました。そして今、たまに訪れる涼しい秋風が本当に心地よく感じられます。
この涼しい秋風に癒された俳人が江戸時代にもありました。元禄2年、奥の細道の大紀行を巡った松尾芭蕉です。まだまだ残暑厳しい8月(新暦では今頃)、芭蕉は加賀国・那谷寺に立ち寄ります。私自身も那谷寺へお参りさせていただいたことがありますが、境内を奥へ進むと、実に雄大な白い岩壁を望むことができます。その壮大さ、美しさに目を奪われてしまうのですが、芭蕉も同じような気持ちで望んだことと思います。そして厳しい残暑を一瞬でも忘れさせてくれる一陣の風に、芭蕉は心奪われたのではないかと思うのです。
石山の 石より白し 秋の風
今、ここで、本当に生かされているんだ!という喜びが伝わってまいります。
コロナ禍により、いろいろな面で不都合が生じている昨今ですが、そんな中でも秋風は必ず吹いてくれるものと信じています。
そして、秋の深まりの中で、今年もモミジの紅葉を待ちたいと思います。(見頃は11月中旬です)
『令和』に改元されて2年目。希望に満ちた新時代!
と思っておりましたが、令和2年はたいへんな年になってしまいました。新型コロナウイルスの猛威。未だワクチンや特効薬の開発には至らず、その脅威は増すばかりです。
その上、九州地方を襲った集中豪雨。被災され多くの尊い命も失われました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。また被災されて今なおご苦労されている大勢の方を思うと、言葉もありません。どうか、一日も早く穏やかな日が訪れますようお祈りするばかりです。
周知の通りですが、新元号『令和』は万葉集に由来します。その万葉集の編者にはいろいろな説があるようですが、最も有力な編者に挙げられるのが、奈良時代の公卿・大伴家持です。万葉集に納められた和歌、全4516首のうち、実に1割以上の473首が大伴家持の和歌であり、万葉集最後の和歌・4516首目の和歌も、大伴家持の作であります。
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や いや重け吉事
【あらたしき としのはじめの はつはるの
きょうふるゆきや いやしけよごと】
大伴家持は貴族社会の中でも有力者であったことは間違いありませんが、当時の最高権力者であった橘氏と、新興勢力の藤原氏との狭間に立たされ、苦しい立場におかれていたことも事実であります。両者の権力抗争に巻き込まれたために、奈良の都に居るのではなく、度々地方へ赴任しているのです。越中国守(越中国の知事)として現在の富山県高岡市に赴任していたことは有名です。この頃に家持は多くの和歌を詠み残しました。
そして、天平宝字2年(758年)、家持は因幡国(現・鳥取県)へ赴任します。これは事実上の左遷であったそうです。ここで迎えた最初のお正月に、先ほどの和歌を詠み、これ以降家持は和歌を残しておりません。そしてこの和歌が、万葉集最後の和歌になりました。
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や いや重け吉事
当時、元日に降る雪はその年の豊年をもたらすと言われ、非常に縁起の良いものとされていたそうです。左遷という屈辱的な事実を受け入れなければならなかった家持は、元旦の雪が降り積もるように、吉事(良い事)もたくさん重なりますように・・・と願ったものだと思います。それは家持自身にとっての吉事を願うのみならず、「どうすることもできない現実」を受け入れざるを得ない世の中全体に向けられた願いでもあると思います。その願い「世の中の平安」こそが、万葉集に込められた願いではないかと思うのです。
私たちはまさに今、「どうすることもできない現実」を数多く突き付けられています。奇しくも万葉集に因んだ『令和』という時代に。
大伴家持の願い・万葉集の願いである「世の中の平安」を、今はただただ願い、祈る時だと思います。
新型コロナウイルスの災禍、多くの天災によりご苦労を強いられている方々に、一日でも早く心穏やかに過ごせる日が来ますように、お祈り申し上げます。
(地元ベースボールクラブの坐禅研修)
本日2月15日は、仏教を始められたお釈迦様のご命日です。
お釈迦様は入滅(お亡くなりになること)の際、長年常に寝食を共にしてきた弟子のアーナンダに、お釈迦様亡きあと、自分は何を頼って生きていけばいいのかを涙ながらに尋ねられます。
そこでお釈迦様がお示しになった、言わばご遺言が次のお言葉です。
【自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ】
“自燈明法燈明”の教えです。
お釈迦様は、「私の教えをよく覚えておいて、それに従いなさい」とも、「私の教えをよく書きとどめておいて、それに従いなさい」とも仰いませんでした。
【あなたという自分自身を拠りどころとし、生まれた時のままの素直な自分を拠りどころとして生きなさい】(個人的な意訳です)
と、仰いました。肝心な時の寄る辺は自分自身だと。そして自分自身とは、勝手な自我や経験によって作り上げられた先入観・偏見を離れた、生まれた時のままの本来の自分なのだと。
先日、地元の中学生ベースボールクラブの子供さんが坐禅研修にみえました。例えば、1点差で勝っている試合の最終回、2アウトなんだけれども満塁のピンチの場面、相手が打っても、こちらがミスをしても“サヨナラ負け”のリスクを背負った場面です。投手も野手も、できれば打たれたくないし、ミスもしたくない。その時に、
“自分のところにボールが飛んで来たら嫌だな〜” とか、
“どうか自分以外の野手のところに打ってくれ〜” などと思いながら守るのか、それとも
“是非自分がボールをさばいてアウトを取って勝つんだ”
と自分を信じて守るのかでは、体の反応も動きも大きく変わってくると思います。
そんなことを話しながら、どうか自分自身を信じる力を養ってほしいと、子供たちは全員真剣に坐禅に取り組んでくれました。
今後のチームのご活躍ご健闘をお祈りしております。
(坐禅後は、173段の石段トレーニング)
これも坐禅研修のプログラムです(笑)
掃除もバッチリ! ありがとうございました!
数日後、地元高校生の皆さんが坐禅に挑戦!
さすがに姿勢が良い!
この後、写経も挑戦してくださいました。
(2018年12月31日 除夜の鐘)
(除夜の鐘 開始5分前)
たくさんのご参詣をいただき、有難かったのですが、寒い中お並びいただくことになりました。本当にありがとうございました。
謹賀新年 今年もよろしくお願い申し上げます。
昨年大晦日、「平成」最後の除夜の鐘・新年修正会を厳修致しました。大勢のご参詣をいただき、ありがとうございました。
まずは本堂にお参りいただき、新成人の皆さんより新年の縁起物のお屠蘇、干支の色紙をお受けいただいた後に、鐘を撞いていただきます。
住職はその間、大般若理趣分をお唱えし、皆様方の1年間の「無事」を祈ります。引続き、祝聖を修めて国家安泰を願います。
さて、昨年は・・・、と言うよりは昨年も、全国各地で災害の多い年でした。下呂温泉も少なからず災害の影響を直接的に受けました。でありますから余計に思うのですが、「無事」以上の幸せは無いと思うのであります。心から皆様方の「無事」をお祈り申し上げます。
ところで、私たちの宗門「臨済宗」の宗祖、中国の臨済禅師も私達の「無事」を願って下さっております。
【無事是れ貴人 ただ造作することなかれ】(臨済録)
「無事」こそ貴い人であると仰っているのです。
ただし、“造作することなかれ” と忠告もされています。
つまり、私たちの心の中にある“計らい”、或いは“企み”と言う造作のないところが「無事」であり、貴い人だと仰っているのです。
臨済禅師は私たちの肉体的な「無事」だけではなく、「心の無事」をも願っておられるのです。
私が温泉寺の住職を任されて間もないころ、前任者であった先住職の老僧さんから、草取りについてよく叱られました。私は草が生えているのがわかっていても、いちいち草取りにいそしむことはなく、行事前やお客様がお越しになるのがわかっている日の直前にしか草取りをしませんでした。事実、毎日毎日少しづつ草を取っていても、またすぐに草は生えてきます。だから、行事をする日の直前に一気に草を取ってきれいにしました。
ですが、先住職はそのやり方が気に召さなかったようです。ただ単に私の“なまけ心”を叱るのではなく、私の心の中にある「行事前に一気に草を取ったほうが効率的で、しかも完全にきれいになり、お客様からも評価が高いものになるだろう」という“計らいの心”、“企てる心”を叱られたのです。
そして先住職は若い私にこのように教示して下さいました。
「何故草を取るのかって? それは草が生えるからだよ! それ以外に理由は無い!」 と。
当時、「境内をきれいに保つことで、檀家さんなどのお客様から自分への評価を得たい」と、心の中で求めていた自分がとても恥ずかしく、同時に情けなくなったことを覚えています。
臨済禅師も
【求心やむところ、即ち無事】(臨済録)
他に求める心がなくなったところが、そのまま「無事の人」だと念を押されます。
他人からの高評価を求めてしまうが故に企て、計らい、その結果自分自身が悩み、苦しむことになるのです。今でも私はこういうことになる場合があります。だから気を引き締めて、心も体も「無事」で居れますように精進したいと思います。
(除夜の鐘・修正会祈祷)
(お屠蘇と干支色紙は地元の新成人の方よりお受けいただきます)