温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

今、できること  2011年3月26日更新

このたびの東日本大震災にては多くの尊い命が失われてしまいました。それと同時に大切なもの全てを失った方々が、被災地の多くの避難所にて寒さに耐えながら物不足な中での生活を強いられています。

 

今、私にできることは限られてはいますが、被災なさった方々の身に自分の身を置き換えて実行していきたいと思っています。

 

ところで私たちの所属である臨済宗には、このような言葉が伝わっています。

「照用同時」〜しょうゆうどうじ〜

中国の碧巌録という語録に出てきます。「照」は見るという意味。「用」は動くとか、働くという意味で、要するに見ることと動くことが同時に行われることです。例えば、歩き始めた赤ちゃんがヨチヨチ歩きしていて転びそうになったとき、とっさに手を添えてあげる働き・動きを思い浮かべてみられたらわかりやすいでしょう。

 

この時のポイントは、転びそうになった赤ちゃんに、手を差し伸べて介添えしたことに対して恩をきせたり、後から何かを求めたりは決してしないことです。誰でもそうですよね。赤ちゃんは可愛らしい微笑みを見せてくれ、こちらもそれを見て心が和みます。ただそれだけなんです。これを「照用同時」といい、本当の助け合いというのではなかろうかと思います。

 

臨済宗の根源的存在である達磨大師(ダルマさま)はここのところを強く伝えておられます。

当時の中国、梁の皇帝武帝に歓迎歓待されたときにさえ、自他不二、一切空の立場を貫かれました。梁の武帝という皇帝は深く仏教を信仰されており、多くの寺院建立、僧侶への布施を惜しみなく続けておられました。仏心天子とよばれるほど、仏教を大切にして下さっていたのです。その武帝に、自分はどれほどの功徳があるのかを尋ねられ、

「無功徳!!」

と、いともあっさり申されてしまいました。

 

達磨大師の意図は、もう皆様おわかりでしょう。 つまり、仏教に対して尽力なさった武帝の行動は素晴らしいのですが、そこに自分だけの功徳を求めてはいけなかったのです。達磨大師は、功徳の有る無しという世界すら、消し飛ばされたのです。

ちなみにこの時、武帝は激怒し、達磨大師を追い返されたのですが、後にこの達磨大師の教えを深く理解され、もう二度と対面されることは無くても、仏教を信仰し続けられたのでした。

 

震災後、日本全国の人が皆、被災者の方々に向けて、今、自分にできることは何かを考えながら、そして実行されながら生活しています。一人一人の努力は決して大きいものではなくとも、その努力は輝きを放つ貴重なものです。恐らく皆が自ら求めるものの無い「照用同時」の世界を実行しているときではないかと思います。

 

求めるものがあるとすればただ一つ。被災者の方々の安全確保・早期復興、それだけです。私自身も微力ながら、今できることをさせていただきたいと思います。

 

最後に、文章中に適切ではない例え、表現がありましたらお詫び申し上げます。未熟者の寝言だと理解していただけましたら幸甚に存じます。

 

(上部の写真は、去年の春、山で採ってきた葉ワサビです。1年間で株が若干大きくなりました。境内裏山「楓月庭」の水屋の水路で育ってくれています。小さくもたくましい命に、励まされています。)

 

 

 

 

 

 


 

新年の梅三輪  2011年1月25日更新

皆さま、あけましておめでとうございます。

相変わらずノラリクラリの茶話にお付き合いいただき、御礼申し上げます。

今年も1年、宜しくお願い致します。

 

さて、温泉寺の年越しですが、毎年「除夜の鐘・元旦修正会」という法要を営んでおります。参拝者には自由に除夜の鐘をついていただき、本堂で自由にお参りされたのち、お1人お1人にお屠蘇を振る舞い、新年のご挨拶をして記念品(干支色紙など)をお渡ししています。おかげ様で近年、この初詣の参拝者の数が急増しています。今年は除夜の鐘が300発以上、下呂の街に鳴り響きました。

 

そうした中、住職は本堂はじめ諸堂にて1年間の国家平安、五穀豊穣、参拝者の健康安全を祈願しています。境内には当然スタッフの方たちが火を焚いたり、参拝者の誘導、足元注意を呼び掛けて下さっています。寒い中本当にありがたいです。

 

ところが、どうしても毎年毎年今一つ解決に至らない懸案事項があるんです。それは本堂でのご挨拶、お屠蘇振舞をして下さる方がいないのです。何とか毎年私の家族の者と、男性スタッフの方とでやってきましたが、やはり1年で一番おめでたいご挨拶、1番おめでたい縁起物をいただくのに、女性からいただいたほうがありがたいとの要望が強く、解決に至っておりませんでした。頼めばいくらでもお手伝いいただける方があるのですが、それも年越しという大事な家族行事を枉げていただくことになりますから、なかなか声をかけることができません。

 

いろいろ悩んでおりましたら、近所の女の子が手を挙げてくれました。現在大学生で遠方にお住まいですが、必ず除夜の鐘つきに毎年来てくれる子です。よく聞いてみましたら、今年成人式を迎えるらしく、同級生の友達を何人かつれてお手伝いしていただけることになりました。

 

こうして本堂には新成人の女の子が3人並び、おめでたい雰囲気が倍増し、寒さも半減致しました。

江戸時代の大俳聖・松尾芭蕉の門下で、俳諧師の服部嵐雪に

 

梅一輪  一輪ほどの  あたたかさ

 

という句があります。梅の花一輪ごとに暖かい春がやってくる、春が待ち遠しいという意味になろうかと思います。

温泉寺にとりましては、元旦のお手伝いをしてくれた新成人3人の女の子がまさしく梅三輪でありました。極寒の中での除夜の鐘・元旦修正会でしたが、その中で本当に温かい初春を感じました。

 

新成人としての第1歩を、温泉寺でのお手伝いから始めて下さったことに、住職として本当に感激致しましたし、みんなが喜びました。本当にありがとうございました。この3人様にどうか幸あらんことを念じてやみません。

 


 

散り初めし・・・  2010年12月3日更新

 先月は温泉寺周辺は紅葉ライトアップで大いに賑わいました。温泉寺にて把握しているだけでも期間中の来場者は約14800人、大型バスも41台という数字が残り、年々賑やかになってきています。要因はやはり入場無料ということと、境内全域が整備されてきたことにあるように思います。前回の茶話でもご紹介しましたように、この行事全てが奉仕により成り立っているおかげです。

 

 現在はあんなに見事だったもみぢも散り、期間中消灯後、毎日のように一緒に飲んだスタッフの方たちとも会えなくなり、少し淋しい感じがします。(結局私が一番楽しんでいたかも・・・)何はともあれ「もみぢ」のおかげで身も心も楽しませてもらいました。

 

 窪田空穂さんに

散り初めし わが庭もみぢ

衰へしものは

     静かに美しきかな

 

という詩があります。

もみぢの葉の最期は、鮮やかな紅葉ですが、その最期(終末)に淋しさを感じつつも、美しいものとすることができるのは、欧米には無い日本人の良さだと思います。

「衰へしものは、静かに美しきかな。」

私はこの部分が大好きです。

 

 温泉寺境内の桜やもみぢを観察していますと、春に芽吹くころも、やはり赤く見えます。新芽自体が赤いのです。葉が成長するに従ってクロロフィルに覆われて鮮やかな緑色の葉になります。これが人間でいう「成人」の状態だと思います。しかし時期が経つとだんだん本来持って生れてきた色に戻っていきます。これが「紅葉」の状態で、たまたまその時期が一生のうちの最期なのだと思います。もみぢの最期は、もともと生れ持っていた本来の色に帰ることだったのです。 新緑の青葉も美しいのですが、やはり本来の色のほうが美しい。

 

 私たち人間にとって、「もともと生れ持っている本来の色・本来の姿」って何でしょう?幼いころの無邪気な姿だというだけでは、あまりにも抽象的すぎですね。

赤ん坊は生後すぐに、誰にも教わらずしておっぱいを飲みます。排泄も上手にします。つまり、「生きたい、生きるんだ」という姿勢を常に見せてくれます。そして少し経つと、「みんなと一緒にいたい」という共生の姿を誰よりも強く見せてくれます。これが私たち人間の本来の姿なんだと思います。みんなと共に生きていくために、

「すみません。」 「ありがとう。」 「あなたどうぞ。」

というたいへん有意義な言葉が存在するのです。これを言えるか言えないかで、ずいぶん人生が変わります。人間でいう「紅葉」の状態は、この三つの言葉を素直に言える時ではないかと思います。

 

 もみぢは決まった時期にしか紅葉できませんが、私たちはいつでも紅葉できますね。だったらまた今度にしようか・・・ではなく、私たちは明日の命も知れぬ無常の身。できるだけ今、この瞬間、紅葉している自分でいたいです。

 

 そう考えるとき、窪田さんの「散り初めし・・・」の詩がより一層感慨深く伝わってきます。

 

 

 

 


 

温泉寺、染まってます!  2010年11月6日更新

いよいよ温泉寺周辺のモミジが色づいてきました。観光客の方たちの御来訪も普段より増えています。(通常拝観無料・自由参拝形式・日の出より日没まで)そんな中、ライトアップの準備、特別拝観の準備などが着々と進んでいます。(ライトアップ期間中は日の出より午後9時まで。勿論入場無料。)

禅の言葉に「無賓主」という言葉がありますが、まさに字の如く、賓客も主人も無く、みんなが楽しめる世界、癒される世界が「温泉寺周辺紅葉ライトアップ」です。準備段階ですが、みんな楽しみながら準備を進めています。今回はこの「温泉寺周辺紅葉ライトアップ」が、どれだけの方々のホスピタリティー(おもてなしの心)で成り立っているのかを、簡単にご紹介します。

 

モミジ周辺の下刈り

  モミジそのものの手入れ、周辺の草刈りなどを、知らない間にやって下さるおじさん達。おかげで境内の庭園、裏参道、湯之島坂はきれいスッキリ。どこかの公園にきたかのような感覚です。もみじ鑑賞、また写真を撮られる方も、気持ちよくお過ごしいただけます。

宣伝、後方支援

  この行事の宣伝、ポスター、チラシ製作及び、マスコミや旅行会社への広報など、下呂温泉観光協会様、下呂市観光商工部、観光課の皆さまのご支援により、多くの方に温泉寺周辺紅葉ライトアップが周知されてきました。お1人でも多くの皆さんにお楽しみいただけると幸いです。

特設「もみじ足湯」

  下呂温泉集中管理事務所の事業組合様、旅館組合様のご好意で、夜の寒さで冷えた体を温めてもらおうと、毎年この時期だけ足湯が境内に登場します。おかげで紅葉ライトアップと足湯のコラボが実現。体も心も温めてもらいながら、モミジを鑑賞していただけます。

押花絵ギャラリー

  書院拝観のお客様に、より一層秋の風情を感じていただくために、地元「押花アトリエ花遊び」の皆さんが、ご自分たちの作品を展示・演出して下さいます。テーマは「秋」ですが、内容は毎年違います。温泉寺の書院を明るくして下さいます。

山月流活花と、秋の巨大活花アート

  毎月温泉寺で開催されている山月流活花教室の皆さんによる、秋の活花。書院内の各所に展示され、古びた書院に彩りを添えて下さいます。

  また、本尊薬師如来の宝前には、飛騨特有のツルウメモドキの大作、また秋の木々を巧みに使った巨大活花アートをお供えいたします。両方お1人の方がそれぞれ奉仕で製作し、お供えして下さいます。見ごたえ充分ですよ。

温泉寺オリジナルしおり

  温泉寺無相教会のおばさん達の手による「温泉寺のモミジ栞」。温泉寺のモミジを材料にして押花したあと、手作りの台紙とラミネートしました。上部にリボンをつけて完成です。今年は700枚作っていただきました。数に限りがあるため、全員にお持ち帰りいただけないのが残念ですが、ご朱印のお客様や、ご協賛いただいたお客様にプレゼントします。

足元を照らす竹行燈(あんどん)

  夜間の裏参道はライトアップされていますが、足元は古道の石畳。お客様の足元の安全確保のため、若手の実行委員会メンバーで竹細工し、合計50基の竹行燈が並びます。安全確保以上に、暗がりの古道を優しく照らす、情緒豊かな道しるべです。

ライトの設置、誘導、案内

  基本のライト設置、配線作業から、期間中のお客様の誘導案内、全て実行委員会でまかないます。実行委員会は全員地元ボランティア有志20名の皆さんです。実行委員長を除けば平均年齢36歳。寒さに負けず頑張ります。

癒しのコンサート

  今年は期間中3回のコンサートを開催します。ライトアップされた境内の静寂に、優しい音色を加えて心を温めて下さいます。13日は「ハープ」、20日は「クラリネット」、22日は「筝曲と尺八」、忙しい時間を割いて、温泉寺のお客様のために入場無料で演奏して下さいます。

  また、コンサートに関わる準備、音響設備等も、奉仕いただいています。

歓迎セレモニーと謝恩セレモニー

  地元の方々によるお客様への歓迎セレモニーとして、21日には紅葉茶会が開催されます。しかも亭主は地元の小学生。子供たちのお手前で、14時から15時までは無料で抹茶を一服堪能していただけます。

  また、最終日23日14時からは、地元「湯之花芸妓衆」による奉納舞踊をご覧になれます。お客様への感謝のセレモニーとなります。温泉地ならではの文化をお楽しみ下さい。

さりげない協賛

 温泉寺のお隣の旅館「ゆらぎの里・ひだ山荘」様は、ご自分の旅館のお客様のために毎年湯之島坂のモミジ並木をライトアップされていますが、だんだんライトの量が増え、今年はついに温泉寺境内にかかるモミジまでも照らす準備がなされています。ありがたいです。また、ご自分の旅館に宿泊するお客様でない方にでも、何かと親切に対応していただいています。(駐車場の案内やら、トイレやら・・・)私どもの知らないところでいろいろご迷惑をおかけしていますが、文句一つおっしゃることなく、とても感謝しています。

 

以上、乱雑ですが思いつくまま記してみました。かなり省略させていただいていますが、とにかく全て手作りの行事です。是非、下呂温泉の方々のおもてなしの心に触れていただきたいと思います。そして短い一生を美しく散りゆくモミジたちを、みんなで愛でたいと思います。お客様も地元の皆さまも、みんなで秋を楽しみましょう!!

 


 

外国人に学ぶ  2010年8月29日更新

温泉寺の夏は、とても長いです。というより、住職だけがそう感じているだけなのかも知れませんが、長いだけではなく、内容もとても充実しています。

 

境内の庭木の剪定から始まり、8月は毎日早朝坐禅会、下呂温泉祭り(温泉感謝祭)、お盆行事をこなして、地元子供会の林間学校(1泊2日)が終わると一安心。ようやく落ち着きを取り戻しています。この文章を書いている今日も、1泊2日で地元中学校のバレーボール部の合宿が温泉寺で開催され、表では保護者の方が炊事の準備に追われているみたいです。とにかく、寺が賑やかなことは、とても良いことだと思います。葬儀や法要も大切なことですが、それ以外で寺が賑やかだと、まるで寺自体が生き生きとしているように感じます。それに、こんな山奥の古びた寺で寝泊まりして、翌朝はお勤め・坐禅・掃除をこなしてくれる子供たちにとっても、まあまあ良い経験になるのではないかと考えます。普段、寺という所は静かすぎるので、淋しがり屋の住職にとってもたいへん喜ばしいことであります。

 

それなりに充実していて、私自身も充分に楽しませてもらった夏でしたが、その中で特に印象深かったことは、外国人の方との坐禅や茶の湯体験でした。8月前半の早朝坐禅会は、観光客の中でも特に外国人の参加者が多かったです。金色の髪の毛で、明らかに外国人とわかる方もいれば、私たち日本人と同じ外見の方もみえました。後者はやはり中国・台湾、それから東南アジアの方たちです。それらの方とは、私自身「外国の方」だという認識をしていないまま、般若心経をお唱えし、坐禅の説明の後、静かに坐ります。私は少々お経文をお唱えする他、日本語以外に外国の言葉は一切話せません。(里の母親は一応、高校の英語教師でしたが・・・)ですから外国の方がみえても、「ここは日本だから!」ということで、日本語でしか対応しません。というか、対応できません。でも、坐禅は万国共通。言葉が通じなくても、一緒に坐ることができます。皆さん、私の動作をしっかり観察して姿勢を正し、坐禅をして下さいます。

 

また、8月6日には下呂市内の中学校の関係で、アメリカのペンサコーラという所から、中学生やその保護者の方が、30名ほどお越しになりました。日本の文化に触れていただくことを目的とし、坐禅や茶の湯を体験していただきました。地面に坐るということ自体が非日常的で、皆さんそれぞれに雰囲気を味わっていただけたのではないかと思います。抹茶もどこかでいただいてみえたらしいのですが、自分で抹茶をたてることは初めてだったようで、慣れない手つきで一生懸命抹茶をたて、お客様に丁寧に御出しすることができました。

 

坐禅にしろ、茶の湯にしろ、その心構えなどを丁寧に指導することは私にはできませんが、それでも充分外国の方たちは理解して下さっていると思うことが1つだけあります。

 

皆さん共通してご挨拶される時には、必ず合掌・手をあわせて下さいます。また、正座の時には必ず地面に額を当ててご挨拶下さいます。

 

その丁寧な作法に一瞬私はとまどいながら、「ここはお寺だから当たり前だな。」と納得するのですが、実は同時に、ただ頭を下げているだけの自分がいました。少し経ってようやく自分の不作法に気づくのです。

 

坐禅は「自分の心を拝むこと」。挨拶は「相手様の仏心を拝むこと」。禅寺ではそう説いています。茶の湯も同じことです。ところが、その禅寺の住職が一番できていないという事実を知りました。インドの常不軽菩薩は、生涯にわたって常に出会う方全てを拝み続けられました。仏像よりも何よりも、今生きている人たちの心に対して手を合わせ続けられたのです。

 

日本人同士ですと、或いは特に親しくさせていただいている方たちとは、ついつい横着になってしまっている自分がいますが、仏教徒である以上、そして曲がりなりにも一山の住職である以上、相手様の仏心を拝み続けることぐらいは、相手を問わず実践すべきことと、今さらですが改めて気付かせていただいた次第です。全く基本中の基本を、外国人に教わりました。


 

123456789101112131415|    << 前のページ | 次のページ >>


▲このページのtopへ