温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

ほとけの子〜はなまつり〜  2012年5月7日更新

〜若宮神社から温泉寺まで象ひきパレード〜

今年も子供の日恒例「はなまつり」が開催されました。総勢60名の子供たちがお釈迦様を乗せた白象を、若宮神社から温泉寺まで引いてきました。まだお母さんに手をひかれて歩くお子さんから中学生まで、たくさん参加してくれました。遠方に居られる方も、ご家族総出で参加して下さっていて、都会の生活の中で「田舎・下呂」を想う気持ちを嬉しく感じました。

 

最近、子供たちが犠牲になる事故が多発しています。いろいろな災いの矢が飛び交っているこの世の中で、どうか無事に元気に成長して欲しいという願いは、どこの親御さんも想いは同じです。ただ単にお釈迦様のご生誕をお祝いするだけではなく、その願いを、誕生仏(お釈迦様生誕のお姿)に託すのが、はなまつりです。

 

思えば、私たちの「命」は、両親のご縁により母親の胎内に宿された時から、この世と縁が結ばれます。(宿命)

 

およそ十月十日の間、母親の胎内で育ててもらって、たいへんな苦労の後、母親によりこの世へ運んでもらいます。(運命)

 

そして、今まさにその「命」を私たちは使わせていただいています。(使命)

 

私たちは今、使命の真っただ中にいるんです。それをどう使わせていただくか、子供たちに伝えたいのですが、残念ながらなかなか上手に伝えることができません。

 

「いくら仲の良いお友達も、自分の代わりにおしっこはしてくれない。」

のと同じで、

「お父さんやお母さんであっても、自分の代わりに命を使うことはできない。」

「お父さんの命を貸して。」

と言われても、

「いくら可愛い我が子であっても、貸してあげることはできないんだよ。」

「だから、命って尊いものなんだよ。」

と、せいぜいこのくらいのことしかお話できませんでした。

 

でも、みんなで般若心経をお唱えした後、かき氷や綿菓子を食べながら、あるお母さんがお子さんに、

「どうせ使うのなら、人に優しい命であってほしいな。」

と言って下さっていました。

お子さんも笑顔で「うん!」と、大きくうなづいてくれていました。

 

この会話を聞いただけで大満足でした。

お手伝いいただきました湯之島子供会の皆さま、ありがとうございました。

 

 

 

 

 


 

決意新たに!  2012年4月2日更新

気仙沼市・地福寺境内「祈りの広場」より海を望む。

海岸には墓地があり、変わり果てた墓地まで竹灯篭をともし、お参りされる方が多数みえました。

 日本赤十字社の炊き出し専用釜二基を借りて、建長汁400食のできあがり。

地福寺女性部の皆さまにもご協力いただきました。

 (子供さんへ向けて綿菓子。風船細工ボランティアの方のお隣で)

昨年末、先代住職が遷化致しましてから、何となく気持ちに張りが出ず、お正月、本葬、初午祭、薬師祭、お彼岸と、目まぐるしく続く行事も、ただその場その場を何とかしのいできただけのような感じがします。

 

そんな中、私自身が反省せずに居れない一方、たいへんな勇気を与えていただけたのが、東日本大震災1周忌法要でした。昨年11月の紅葉ライトアップにて期間中3回のチャリティーコンサートを開催致しましたし、予てより下呂にて周囲の皆様方よりお預かりした義援金や善意を、被災地へ直接お届けしたいと考えておりました。

 

大先輩の宮城県・禪興寺様にご相談申し上げましたところ、震災後に私どもが瓦礫の仕分け撤去作業を少しお手伝いさせていただきました、気仙沼市・地福寺様での1周忌への参加要請をいただきました。具体的には、3月10日のお逮夜法要・震災メモリアル「鎮魂の夕べ」にて、参拝なさるご遺族の方や、大勢の学生ボランティアの皆さまに建長汁(ケンチン汁)を炊き出しして振る舞ってもらえないか、という要請でした。

 

喜んでお引き受けし、総代さんや役員さんと協議の結果、これまで大震災関連行事を共に作り上げてきた若手の仲間も含め、合計10名で気仙沼へ出向することになりました。結果、ケンチン汁400食の他、子供さん向けに綿菓子も提供させていただくことができました。

 

10ケ月ぶりの気仙沼市でしたが、港周辺は瓦礫こそ片付いているものの津波被害による廃墟が相変わらずそのまま立ち並んでおりました。「復興」という文字が本当にほど遠く感じられました。地福寺様周辺も瓦礫は取り除かれておりましたが、何も無くなった所に、何とか修復なさった本堂がポツンと淋しそうに建っていました。何も無くなった境内に「祈りの広場」を設けられ、観音様が海の方を向いておまつりされていました。

 

私たちは境内の「祈りの広場」にて炊き出しをさせていただきましたが、地福寺様の役員さんや、女性部の皆様方が、ご自身もそれぞれ被災なさってたいへんなご不幸に遭われている中で、献身的にお手伝い下さり、その前向きなお姿に感銘を受けました。

 

綿菓子ブースでは、地元・階上中学校の生徒が10人ほど集まってくれ、「今日は卒業式でした。遠くから来てくれてありがとう。」という言葉をかけてくれました。遠目にその子たちを見ていると、ふざけあったり、じゃれあったりして、どこから見ても普通の中学生なのですが、津波で亡くした友だちや親族に対して、一生懸命手を合わせていました。彼らもそれぞれにいろんな想いを交錯させながら、これまで一生懸命過ごしてきたのだと思います。

昨年は震災直後、10日遅れでの卒業式で、梶原裕太君があまりにも立派な答辞を述べてくれました。(前回の茶話にて紹介させていただいています)その後輩にあたる子供たちでしたから、きっとしっかり前を向いて、この世の大自然と真摯に向き合って生きていってくれることと思います。

 

お逮夜法要「鎮魂の夕べ」のクライマックスに、地福寺ご住職の法話を拝聴しました。

冷酷な言い方かも知れませんが、私たちはこの世に生きている限り、必ず命の終焉を迎えます。自然災害や事故だって、何処にいても遭遇する可能性があるんです。しかしながら、どんな境遇にあっても、めげない!逃げない!くじけない!とにかく前を向いて歩んで行こうじゃありませんか!」

同じく被災なさった地福寺様の熱いメッセージに、参拝なさっていた全ての方が涙しながらうなづいておられました。

 

3月11日、1周忌を迎えて多くの被災者の皆さまが、また改めて復興の第一歩を歩みだそうとしておられます。その姿勢にわが身を振り返るとただただ反省です。一方で折角授かったこの命を決して無駄にすることなく、いつ死が訪れても後悔しないよう誠実に生きていかねばならぬと思います。自分自身の命を寿ぐことができますように!(命の終焉=死=寿命=命を寿ぐこと)

 

四月は新たな門出の季節です。振り返りますと私が温泉寺に入山して丸10年が経ちました。当時小学校2年生だった近所の子も、遠方の大学へ発ちました。嬉しいような淋しいような・・・。

昨日は舞妓として門出を迎えたお二人が、温泉寺にお参りに来てくれました。それぞれに決意を新たにして頑張ろうとしている姿を見て、こちらも励まされます。

 

どうか皆様方の弥栄を祈念申し上げます。

大勢の方に見守られ、一生懸命舞って下さいました。

左より菊乃さん、雛乃さん。今後のご活躍を祈っています!


 

天を恨まず・・・「祈りの夕べ」  2011年12月1日更新

(温泉寺周辺の元気な子供たち)

(東日本大震災「祈りの部屋」から見る紅葉)

(祈りの夕べ〜被災地より法話「無常を生きる」〜

宮城県禪興寺住職、梅澤徹玄師)

 

11月中旬、温泉寺は多方面の方々によるご協力のもと紅葉のライトアップを開催しました。今回で9回目を数えます。

 

今年はご承知のとおり、震災による節電励行の社会の中、甚だ不謹慎なことだと、開催に関して随分迷いがありましたが、折角ここに足を運んで下さる方に何かを感じとっていただける機会になればと、「震災を忘れない!祈りの夕べ」というサブタイトルをつけ開催にこぎつけました。

 

例年の如く、温泉寺境内の建造物は全て拝観可能に開放しますので、それにかかる準備、外のライト設置から掃除、特設足湯準備など、多くの方のお力添えをいただきました。それに加えて、今年は先の東日本大震災で起こった現実に今一度目を向ける機会にしたいと思い、更に多くの皆さまのご協力を得ることができました。

 

当方の想いを汲んで破格の謝礼にて快くチャリティー公演に応じて下さった歌う行商人・富安秀行さん、バイオリニスト・黒田かなでさん、ユーフォニアム・照喜名俊典さん、モンゴル馬頭琴ホーミー奏者・岡林立哉さん、アボリジニー古典楽器ディジュリドゥ奏者・稲垣遼さん、そして地元で頑張る人気者のオジサンフォークグループGoo連帯の皆さん、本当にありがとうございました。まさに東北を、被災地を想う公演を3回に渡り熱く繰り広げていただきました。今後は被災地東北へそれぞれご出向なさるとのこと、きっと現地の方々もお喜びになり、心に癒しを感じて下さることと思います。

 

とにかく無我夢中で企画実行してしまったため、こうして振り返りますとお1人お1人が完成されたプロのアーティストで、たいへんな方をお呼びたてし、おこがましい割に充分なご歓待もできず、申し訳ないことでした。この場をお借りし、お詫びと共に感謝を申し上げます。

 

また、このチャリティー公演に際しましてご来場の皆さまからは心温まる義援金を頂戴しました。衷心より御礼申し上げます。

 

さて、もう1つ、このライトアップ開催が良かったか、それとも自粛すべきだったかどうかを評価するバロメーターにしていたのが、私どもの業界(所謂お坊さん)の法話でした。

普通、坊さんの話なんかつまらないし、聴きたくない!っていう方がほとんどで、是非お寺の坊さんの話を聞きたいと普段から思ってみえる方はいないんじゃないかと思います。お金をもらえるなら聞くけど、お金を払ってまで聴こうとする人は、更にいないと思います。

 

ところが、プロアーティストの公演と同様、当日は100席が満席になりました。法話をして下さった和尚様は、被災地宮城県の禪興寺住職、梅澤徹玄師で、未熟者の私の大先輩であります。

 

師はご自分のお寺も被災されているなか、積極的に沿岸部の大津波による被災地域復興支援活動を続けておられます。私が被災地へ赴いた際にもボランティア環境を整えて下さり、本当に助かりました。その御縁もあり、今回の法話による祈りの夕べにお招きしたのです。

 

ご自分の被災経験を通して「無常の世の中を、どう生きていくべきか」を懇切丁寧にお話して下さいました。お話の結びに、大震災から11日目、気仙沼市立階上中学校卒業式で、卒業生代表の梶原裕太君の答辞を紹介して下さいました。涙の出る内容で、全文をご紹介したいのですが、一番心に突き刺さったのは、この部分でした。

 

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。

 

時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

 

しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

 

私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

 

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

〜前後省略〜

 

私はこれまで、釈尊から伝わる仏教寺院の坊主の末端だと自分自身を位置付けてきましたが、たいへんな自意識過剰な思い違いだったことが判明しました。15歳のたくましい青年にまざまざと教えられました。

「諸行無常だからこそ、生かされていることに感謝して、今を懸命に生きよう!」だとか、「助け合って生きていかなきゃいけない!」だとか、「当たり前は、一番幸せなことなんだ!」などと申し上げてきましたが、私の言葉は嘘で、梶原君の答辞は本物です。

 

自分が実際に大震災を経験してからたった10日後の言葉で、仏教の全てを語っています。更に大きなポイントは「天を恨まず、運命に耐え・・・」ですね。

私の苦手な「持戒・忍耐・精進」(がまんすること・受け入れること・努力すること)の大切さを懸命に説いてくれています。(本当にこの部分は苦手なので、私自身、皆さまの前で申し上げたことはありませんし、申し上げることができません・・・)

 

梶原君は歯を食いしばり、天を仰ぎ、涙をこらえながら一言一言を精一杯伝えたそうです。辛い現実から目を背けず、懸命に乗り越えようとする魂の叫びだと思いました。

 

自分の甘さを反省せずにはおれない、本当に衝撃的な法話を拝聴させていただきました。私だけではなく、100名もの方たちが耳を傾けて下さっていたことに幸せを感じました。「祈りの夕べ」は勿論のこと、ライトアップ自体開催して良かったと心から思いました。

 

禪興寺さん、そしてお会いしたこともありませんが、現在高校生として懸命に生きてみえるだろう梶原君、本当にありがとうございました。

そして当ライトアップにご協力・ご協賛いただきました地域の皆さまに、改めて御礼申し上げます。

 

(祈りのディジュリドゥ〜稲垣遼さん〜

被災物故者に対し般若心経・薬師経奏上)

(ライトアップ最終日恒例、湯の花芸妓連、奉納舞踊)


 

紅葉ライトアップ「祈りの夕べ」  2011年10月18日更新


 

当たり前の有難味  2011年9月2日更新

今年のお盆は日本国民にとって特別なお盆でした。東日本大震災により命を落とされた何万人もの方々の初盆だからです。

 

といっても私どもにできることは、ただご冥福をお祈りすることと、一日も早い復興を祈ることだけでした。10日のお精霊迎え「千燈会」、15日の灯篭流し・川施餓鬼、18日の山門施餓鬼会は、被災物故者のご供養に加え、今ある命のありがたさを痛感する機会になりました。例年よりも格段に多かった参拝者1人1人が、しみじみと命の尊さを感じて下さっていました。更にいえば、「当たり前」で居れることのありがたさを考えさせられる機会になりました。

 

昭和54年、32歳の若さで逝去なさった井村和清さんに「あたりまえ」という詩があります。

 

あたりまえ

 

こんなにすばらしいことを みんなは何故喜ばないのでしょう。

 

あたりまえであることを。

 

お父さんがいる。 お母さんがいる。

 

手が二本あって、足が二本ある。

行きたい所へ 自分で歩いて行ける。

 

手を伸ばせば何でもとれる。

音が聞こえて 声が出る。

 

こんな幸せ、あるでしょうか。

しかし、だれもそれを喜ばない。

当たり前だと、笑ってすます。

 

食事が食べられる。

夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる。

 

空気を胸いっぱいにすえる。

笑える、泣ける、叫ぶこともできる。

走りまわれる。

 

あたりまえのこと。

こんなすばらしいことを、みんなは決して喜ばない。

それを知っているのは、それをなくした人たちだけ。

なぜでしょう。

あたりまえ。

 

 

本当に私たちは今こそ「当たり前」で居れるありがたさに感謝すべきだと思います。ついつい忘れてしまうことでありますが、実はこれが最大の幸福なのだと思います。

 

温泉寺は、これから11月の紅葉シーズンの準備に入ります。ライトアップ期間中はたくさんの催しが開かれ、1年で1番賑わいます。それと同時に今回は、ご来場なさった方みんなが、命の尊さを感じ、「当たり前」の有難味に触れていただけるような紅葉ライトアップになればと思います。

 

先の見えぬ東北復興を応援するためのチャリティーコンサート、祈りの燈など、寺ならではのライトアップになろうかと存じます。原則入場無料、是非お気軽にお越し下さい。


 

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