温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

山頭火の気持ち  2006年9月6日更新

 暫くご無沙汰してました。当山のHPのこのつまらない茶飲み話も、おかげ様で目を通して下さる方があり、「HPを見て来ました」と言って旅行がてら先祖供養や水子供養をなさったり、「まだ更新しないのか!!」と尻をたたいて下さったりで、有難く思っています。
 8月は本当に暑かったですねぇ。その上、お盆行事その他雑用に追われ、いつの間にか9月に入っていました。さぁ、また気持ち新たに頑張るぞ!と思いきや、最初からズッコケました。生まれて初めて救急車に乗せていただいたのです。(地元の皆さんにはたいへんご心配をおかけしました。もう大丈夫です。)結局、食塩水のようなものを点滴してもらって、数時間後、寺に帰りました。(皆様、暑い時期は適度な水分と塩分の補給を心がけましょう!ちなみにビールなどは、水分補給の足しにはならないそうです。)
 とまあそんな訳で無事、寺に帰ることができましたが、病院に運ばれてからはいろいろな検査をして、その後、病室に一人ポツンと寝ていました。
 「忙しい」「慌しい」「あれもこれもやらんならん」と、気張っていた寺が、随分遠くに感じ、

 「やっぱり一人がよろしい 雑草」(山頭火)

と、一人静かに休める空間が心地よい感じがしました。
 しかしそれもつかの間。よく考えてみると、約束していた法事が30分後に迫っている。すでに今日の月命日のお参りは、無断欠勤になっている。さぁどうしよう!?と、急に心穏やかではなくなりました。携帯電話も無く、そもそもベッドから起き上がれない状態で、どうやって外部と連絡を取ったらいいのかと思うと、何だか寂しい感じがしました。

「やっぱり一人はさみしい 枯れ草」(山頭火)

今の自分は、世の中にはおろか、自分のことさえも満足にできない、まるで枯れ草みたいなもんだなぁ。

「どうしようもない私が 歩いている。」(山頭火)

という状態でした。約束も仕事も成し遂げることができない情けなさ。
 すっかり悲観的になっていた私を救ってくれたのは、地元ネットワークの速さでした。早速話を聞いた下呂の私の身元引受人様(坊主の世界では案下所といいます。)と友人が駆けつけてくれたのです。外部との連絡や段取り、必需品もそろえてもらいました。助かりました。どうでもいい会話も、この時だけは、何だか有難く思えました。一言「飲みすぎだ!」と片付けられましたが、そばに誰かがいるという安心感は、たとえようの無いほど心強いものです。
 ちなみにこの後、酒屋さんと、なんと法事の約束を果たせなかった先の煙草屋さんまで駆けつけて下さり、お互いに「うちの酒は悪くない。」「うちの煙草も悪くない。」という結果に納まりました。要は自己責任ですね。
 このように皆様にご心配とご迷惑をおかけしたのですが、それにも関わらずさらに皆様のお蔭で自分の進むべき道を歩ませてもらう幸せを感じています。たまには反省して、自分の尻は自分でふけるようにならなきゃ駄目だなぁと思います。

「道は前にある。
 まっすぐ行こう。」(山頭火)

◎種田山頭火(明治15年〜昭和15年)
 山口県防府市出身。大地主の息子。11歳の時、母が自殺。早稲田大学文学部へ入学するも、神経衰弱のため中退。帰省し家業の造り酒屋を手伝うも、父親の放蕩と自分の酒癖のため破産。妻子と共に九州へ赴くが、離婚。その後、熊本市、報恩寺・望月義庵に自殺未遂を助けられ、出家得度。大正15年より行脚に出かけ、多くの自由律俳句を詠む。山頭火は荻原井泉水の門下生で、尾崎放哉と並び称される。昭和15年、松山市「一草庵」にて57歳で生涯を閉じる。

 

 

お盆(温泉寺瓦版より)  2006年7月24日更新

 今月も早いものであと僅かとなりました。8月に入ると、下呂温泉は3日間の観光祭、歌塚祭を経て、あっという間にお盆がやってまいります。
 皆様はどなたでもお盆には、ご先祖様をお迎えし、またお見送りされることと思います。幼少の頃、8月15日夕方になると祖母がよく「あんた達のご先祖様が、また天に帰ってあんた達を見守って下さるからねぇ。」と、私共兄弟にそう言い聞かせ、線香を灯して手を合わせたものです。ご先祖様はそうしてまたご自分の居場所へ帰られるのですが、現在世に生きる私達は、果たして自分の居場所(心の在りか)を明確にしているのでしょうか。
 私達はそれぞれにいろんな顔を持っています。私の場合、一山の住職、小学校PTA役員など地元の諸団体に顔を出し、また家庭においては夫であり、父親であります。いろんな顔や肩書きで、自分勝手な欲望やプライドをついつい持ってしまいます。そして自分の思い通りにならないと、つい生活がなげやりになり、自分は何のために生きているんだろう、とさえ思ってしまうこともあります。
 皆様よくご存知の、石垣りんさんの「表札」という詩は、大切なことを私に教えてくれました。

 自分の住むところには
 自分で表札を出すにかぎる。

 自分の寝泊りする場所に
 他人がかけてくれる表札は
 いつもろくなことはない。

 病院へ入院したら
 病室の名札には石垣りん様と
 様がついた。

 旅館に泊まっても
 部屋の外に名前は出ないが
 やがて焼場のかまに入ると
 とじた扉の上に
 石垣りん殿と札が下がるだろう。
 そのとき私がこばめるか?

 様も殿も
 付いてはいけない。

 自分の住むところには
 自分の手で表札をかけるに限る。

 精神の在り場所も
 ハタから表札をかけられてはならない。
 石垣りん
 それでよい。

 私はどうも、他人様から付けてもらう「様」や「殿」にこだわりすぎていたんだなぁと、痛感しました。では本当の自分の居場所はどこでしょう。
 前回に引き続き、中国の龍牙和尚の詩です。

 木食草衣(もくじきそうい) 心 月に似たり
 一生無念 また無涯
 もし人 居(きょ)いずれの処に在るかを問はば
 青山緑水(せいざんりょくすい)是れ我が家。

春夏秋冬、それぞれの姿に素直に変わる、変幻自在の青山緑水そのものが、そのまま自分自身であると言われたのです。そこには自分勝手な欲望もプライドもありません。ただ、生かされている喜びと、感謝の気持ちのみ存在しています。そこに本当の自分の居場所があるのではないでしょうか。ここのところをお釈迦様は「仏心」、達磨さんは「禅」と表現されたのだと思います。

 

霊峰御嶽山  2006年7月15日更新

 松下童子に問えば
 言う 師は薬を採り去ると
 只、此の山中に在って
 雲深うして処(ところ)を知らず

 この詩は、中国・唐の時代の賈島(かとう)という方の詩です。「隠者を尋ねて遇わず」という題名の通り、必ずこの山中のどこかにいるはずなんだけど、雲の深きによって居場所がわからないという意味の詩であります。
 私は先日、岐阜・長野の県境にそびえる霊峰、御嶽山へ登る機会にめぐまれました。地元の小学校の5年生が毎年2泊3日で御嶽登山研修に出かけるのですが、その登山に同行させてもらったのです。当日は、小学生が宿泊している麓の濁河温泉を6時半に出発するということで、私は下呂を4時半に出ました。私自身初めての御嶽登山でしたから、とても胸躍らせてワクワクしながら先ずは小学生のいる濁河温泉をめざしました。ところが御嶽山麓に入れば入るほど、霧が濃くなり、濁河温泉到着の頃には本当に前が見えないほどでした。そんな中、小学生達と合流し、いよいよ御嶽山頂を目指して歩き始めました。登頂を達成したときの満足感を希望の灯としていたのですが、現実に見る濃い霧と山中の暗さに不安も覚えました。
 その時、冒頭の賈島の詩が頭をよぎったのです。 
「ただ此の山中にあって、雲深うして処を知らず。」
まさしくこのような状況だなと思いました。山頂へ続く道は確かにあり、山頂自体も存在するのですが、雲(霧)のあまりの深さに、一寸先も見えず、どこに向かっているのかわからないという状況です。
 でもこれって、何かに似ていますね。私だけかも知れませんが、私自身の心の中、即ち私自身の人生そのものだと思うのです。たまに、自分は何に向かって生きてるんだろうとか、何のために生きてるんだろうとか、ふと思うことがあります。人生の目的って何なのでしょうか。
 答えはいろいろあると思います。自分自身を鍛錬して立派な人格者になるというのも一つの目的でしょうが、それが家族を幸せにするということでもいいし、子供の成長を見届けるということでもいいし、会社のために金儲けをするということでも何でもいいと思います。ただ、この大自然の中の一つの生命体として命を与えられている、生かされているということを忘れなければいいと思うんです。それがわかれば、決して他人様を陥れるようなことはできませんもんね。
 中国・唐の時代の高僧・玄奘三蔵法師は「西遊記」であまりにも有名な方ですが、師がインドへ仏典を求めて旅をしたときのことを書かれた「大唐西域記」に、こんなお話が出てまいります。
 ある国に人間の形をした野獣がいました。というのも父親は獅子王と呼ばれる野獣で、母親が人間だったのです。母親は隣国の国王の娘でしたが、たまたま獅子王の住む国の国王のところへ嫁いでくる道中に、獅子王に連れ去られてしまい、そのまま結婚させられたのです。生まれてきた子供は、形は人間そのものなんですが、獅子王に野獣として育てられたのです。力は猛獣に匹敵するほどに成長しました。ところが彼が二十歳の頃、転機がやってきます。父親が野獣で、母親が人間だということに疑問を感じたのです。そのことを母親に尋ねますと、母親はことの一部始終を全て息子に話しました。息子は母親を哀れみ、父親のもとから母親と妹を連れて逃げ出しました。弱肉強食の野獣の世界から、人間の世界への転身を息子は果たしたのです。その後は人間として里の人達と仲良く生活をしたのです。しかし突然家族を失った獅子王は、怒りに燃え、荒れ狂い、国中を荒らし、たちまち人間の脅威となってしまいました。国中の兵士でもってしても獅子王を捕らえることはできず、とうとう人間の心を持った息子が獅子王の前に立ちはだかりました。息子は母親から「獅子王と言えどもあなたの父親。決して父を殺すことをしてはなりません。」と、忠告を受けておりました。しかし息子は内心悩みました。みんなを助けるために獅子王を倒すほうがいいのか、または人として父を生かしておくほうがいいのか。この場合どちらが人間としての道なのだろうと。結局息子は目の前の獅子王を父としてでなく、人間(みんな)の脅威的野獣と判断し、人の道に背くことをわかっていながら父・獅子王を退治し、獅子王は息絶えました。息子は、国王からたくさんの褒美をもらいましたが、それを全て母親に預け、自分は人の道に背いたことを反省し、身を隠してしまいました。
 人間らしく生きる決意をした息子の誠実さが、非常に伝わってくるお話です。私達もいろんな場面に遭遇しますが、常に謙虚に自分を省みることを忘れてはならないと思います。そこには善悪を超えた世界があるんじゃないかと思うんです。

 人という
 人のこころに
 一人づつ
 囚人がいて
 うめくかなしさ
  (石川啄木 一握の砂より)

 誰にでも欲望があると思います。欲望は必ずしも悪いものではなく、使い方次第だと思います。独りよがりでなければ、その欲望は意義のあるものになります。ところが、わりに欲望は独りよがりなものになりやすいんですよね。食欲・財産欲・名誉欲など・・・。これでは欲望の雲に覆われて、自分自身の歩むべき道を見失ってしまいます。御嶽山中の如きです。しかし、欲望の使い方を間違えなければ、道ははっきりと見え、目的地までもが鮮明に見えるほど、カラッとした晴れ間が広がるのではないでしょうか。
 御嶽登山の折、山中に入ること1時間で見事に晴れ間が広がりました。頂上へ向かう道ははっきりと見え、皆が確実に頂上に向かっています。森林限界を超えた所には、シャクナゲが地面を覆うようにたくさんの花を咲かせていました。標高約2800mのところにも、私達と何ら変わりない命の営みがあったのです。登りきった飛騨頂上には、残雪の中に真っ青な池がありました。

 木食草衣(もくじきそうい)心 月に似たり
 一生無念 また無涯
 もし人 居 いづれの処にあるかを問わば
 青山緑水(せいざんりょくすい)是れ我が家

 中国・龍牙和尚の詩です。自分の居場所、自分自身の心のありかは、この青山緑水にあるんだという詩です。この大自然の恵みによって生かされている私達の命の源は、この大自然に他ならず、私達自身が大自然の尊い生命の一つなのです。そしていずれは私達の肉体もこの大自然に帰っていきます。
 与えられた命、そして仮に与えられたこの肉体を完全燃焼するために、今自分のなすべきことをしっかりやり遂げることこそ、人生の目的ではないかと思います。
 ちなみに私はいろんな顔を持ってます。寺の坊主・掃除人・父親・夫・飲んだくれ・・・いろいろですが、その時その場を一生懸命生きたいと思います。それが「青山緑水是れ我が家」ということではないかと思います。

 

色メガネ  2006年6月12日更新

 しばらく寺を留守にしていましたので、たいへん久しぶりに更新します。帰りましてから早速、去る6月7日(水)に下呂温泉の企業に今春就職されました新入社員さん達と一緒に坐禅研修を行いました。午前中は坐禅、禅家作法による昼食(斎座)の後、午後は京都・嵐山・天龍寺国際禅堂師家・安永祖堂老師(現在花園大学教授・松雲寺住職)をお招きして、講演を聴きました。高校を卒業したばかりの若い方と一緒に坐禅をできたことは、私にとってもとても勉強になりました。その上、安永老師のお話は非常に若者向きで、私も新入社員さん達も話に釘付けでした。本当に有意義な一日となり、たいへん満足致しました。
 さて、私も温泉寺へ入山してまだ五年目。「下呂」というコミュニティーに於いては、まだまだ新入社員ですので自分なりに気をつけていることがあります。私共「臨済宗」をお開きになった中国の高僧・臨済禅師のお言葉「賓主歴然」という言葉です。似た様な言葉で「無賓主」という言葉がありますが、これも臨済禅師のお言葉で、意味も同じです。前者は「客と主人がはっきり区別されている。」後者は「客も主人も区別無い。」という具合に解釈されますが、全く逆の意味する言葉が、実はその本質は一緒なのです。要は、客である時は徹底して客になりきれば良いし、主人の時は徹底して主人になりきれば良いのですが、そこには何の利害関係も無く、好き嫌いも無く、綺麗汚いの思いも無く、あらゆる枠組み(色メガネ)を外した本来誰もが持ち合わせている純粋な人間性で以って接しなければならないというのです。ということは、全く平等な人間同士の心で応対することが、「賓主歴然」であり同時に「無賓主」なんですね。それが特に接客業の方には重要になってくると思いますし、寺の坊主の私にも重要なポイントなのです。寺の坊主と檀家、寺の坊主と在家、まして聖と俗などという考え方で接するだけでは、お互いの真心は伝わりませんし、第一この社会の面白さが半減しますもんね。見かけや肩書きは関係無し、皆同じ命を宿した人間ですから。
 実は私は以前このことで恥ずかしい思いをしたことがあります。普段、寺に出入りされる方は大部分承知しているつもりなので、そういう方には丁寧に応対します。(当たり前ですけど。)しかし見かけない方は大体旅行か観光でいらした方なので、どうしても応対が横着になるんです。特に急ぎの用事をしている時などは、寺の歴史や由緒を聞かれても、「どうせ二度と会わない人だから。」という邪心が働くのでしょうか、とてもいい加減にあしらってしまいます。心の中では「これじゃ駄目だ」とはわかっているつもりですが・・・。ところがある日、例によって急いで掃除を終わらせて次の用事に移ろうとしている時、「あなたが住職さんですか。」「年はいくつ?」と声をかけてこられた方がありました。一見観光客のような感じだったので「今急いでますから。」と、まともに挨拶もせずに、私はその場から逃げるように立ち去りました。そして衣に着替えて法事に出かけようとした時、外では先ほどのお客さんと、うちのお婆ちゃんが仲良く喋っているではありませんか。「しまった!大事なお客さんだったのか!!」と、今さらながら挨拶をしに行きました。その方は、毎月名古屋から見える熱烈な温泉寺の信者さんだったのです。そして先ほどの自分のご無礼を私が謝る前に「いやぁ、本当にいい方がご住職になって下さって有難いわぁ。」と言われた時は、赤面の思いでした。私はすっかりその方を、ただの観光客と思い、それだけならまだしも、どこか見下した気持ちがあったのです。完全に色メガネをかけてしまっていました。
 考えてみると、自分(寺の坊主)と檀家、これで一つの差別。そして檀家と観光客、これでもう一つの差別を私は自ら作り上げていたのです。私は要所要所で色メガネを使い分けていたのです。でもこれは完全に不要な物。私の見方は間違っていました。自分と他人、自分にとって都合の良い客と、どうでもいい客とどこかで判断しているうちは、真心のこもったお付き合いはできるはずがありません。この偏見的な勝手な判断は、つまらない自分のエゴによって生まれます。エゴを離れて自分の心が誰にでも同化していき、誰であっても自分の心に受け入れることができる、このような差別のないわだかまりのない心をお釈迦様は「仏心」と説かれました。しかも誰にでも「仏心」は備わっているのです。この「仏心」でもって人と接しなさいよ、という教えが先ほどの「賓主歴然」であり、「無賓主」であると思います。そういう意味で私自身、この言葉をいつでも肝に銘じているわけです。
 かつてイギリスのエリザベス女王が東南アジア各国の国王をご自分の宮殿に招待された時、晩餐会で食事をしたのですが、食後、国王の一人が誤ってフィンガーボールの水を飲んでしまいました。慌てて傍にいた側近が止めようとしましたが、エリザベス女王は自分も一緒にそのフィンガーボールの水を飲まれたそうです。女王は側近達に「わが国の恥である!」と叱られますが、静かに「私のお客様は、私そのものである。お客様一人に恥をかかすことはできない。」と返答されました。普通なら腹の中で皆がその国王を笑いものにするところですが、女王は決して笑いものにしなかったのです。ということは、単なる客と主人の関係ではなく、一人の純粋な人間同士という関係で女王は接しておられたのだと思います。まさしく「賓主歴然」であり「無賓主」の世界です。
 茶の湯の言葉に
「客の粗相は 亭主の粗相
 亭主の粗相は 客の粗相」
という言葉がありますが、エリザベス女王の如きです。私自身が最も見習うべきことと、反省しています。

 

今さらですが「お彼岸」  2006年3月30日更新

 ここ二ヶ月半、小学校4年の息子と二人暮らしをしています。今年始め、急に家内が入院して、いきなり予期せぬ二人暮らしが始まったのです。でも、食事・洗濯・掃除など、二人でやれば何のことはないと思っていました。が、ふたを開けてみると肝心の息子は、夕方学校から帰宅するや否や、野球・ゴルフの練習、最近はお宮さんのお祭りの神楽の稽古にも参加させてもらっていて、しかも土日はほとんど野球の遠征に出かけてしまいますから、全く役にたちません。それどころか、こちらの方が送り迎え、弁当作りで振り回されているような感じがします。息子にせいぜい手伝わせて、自立をしてもらおうと企んでいた私は、すっかり当てが外れて、家内の有難さを痛感している昨今です。
 こんな生活をしているうちに、お彼岸も怒涛の如く過ぎ去ってしまいました。温泉寺のお彼岸は、ほとんど私は彼岸のお参りに各お宅にお邪魔するのですが、最終日(彼岸明けの日)は、近所の皆さんがお寺の彼岸法要にお参りして下さいます。そこでお彼岸団子のおさがりで作ったぜんざいをみんなでいただきます。このお彼岸中に私は、自分の息子に何としてもお墓参りをさせたくて、普段ちっともお墓にお参りしない息子をあれこれ工夫して、何とかお墓参りに成功しました。初日、野球の練習に出かける間際に1回、最終日、遊んで帰って来たところを捕まえて1回、合計2回お墓にお参りしました。と言っても、般若心経を早口で唱えて線香をあげるだけのいい加減なお参りですが、終わったあとに息子が面白いことを口にしました。
 般若心経の中の
「一切苦厄」〜一切食う役
「無罣礙 無罣礙(ム ケイゲ ム ケイゲ)」〜抜け毛 抜け毛
は、理解できるらしいのですが(勿論メチャクチャな考えですが・・・。)どうしても最後の「ギャーテーギャーテー」だけは理解ができないと言うんです。「ではそれ以外は理解しているのか」と腹の中で思いましたが、実はこの般若心経の最後の陀羅尼「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソウギャーテーボージーソワカ」の部分は、いろいろな学説がありますが、「さぁ、みんなで一緒に彼岸へ渡りましょう!」と一般的に訳されております。一昨年、生命科学者の柳澤桂子さんはこの部分を「生きて死ぬ智慧」の中で
「行くものよ 行くものよ 彼岸に行くものよ さとりよ 幸あれ。」
と訳されました。
 では彼岸とはどんな所なのでしょう。それは大自然の中のあらゆる生命に支えられ、あらゆるエネルギーに支えられ、またお隣さんやお向かいさんに支えられて私たちが生かされていることを自覚し、反対にあらゆる生命に対して感謝と慈しみの心をもって自らを反省していく世界ではないかと思います。そこに、尊敬の念が生まれ、自分勝手な分別の世界を離れることができるのではないでしょうか。
 私達は常に自分のエゴによって時に喜び、悲しみ、怒り、また貪り、地位や名誉や財産に酔いしれてしまいがちです。私自身、つい子供にやつ当たりをしてみたり、お酒を飲みたい、ごちそう食べたい、あれが欲しいこれが欲しいと、自分勝手な善悪の判断と次々に現れる欲望の中に右往左往しています。
 ところが、いろいろな命と正直に向き合う時、利己主義的な考え方から解放されます。これは、木村無相さんという方の「自炊」という詩です。

 たなの上で
 ネギが
 大根が
 人参が
 自分の出を待つように
 ならんでいる。
 こんなおろかな
 わたしのために。

自分の命を惜しみなく捧げようとしている野菜に対する尊敬の念と、その事実を謙虚に受け止める自責の念がうかがえます。そこには、反省と、あらゆる命を活かしていく(大切にする)生活があるのだと思います。これが、彼岸の世界であると思います。
 般若心経の「ギャーテーギャーテー」の話を上の空で聞いていた息子に、夕食を食べながら木村さんの詩を聞かせました。すると、「本当にそう思うのなら、ちゃんと野菜を並べてあげてよ。こんな無造作に置かれてたら野菜がかわいそうや!」と、返り討ちに遭いました。それでも食べ終わった後はいつになくきちんと合掌して「ごちそうさまでした。」と言ってくれました。
 たよりない父親と、こましゃくれた息子の1コマでした。

 

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